たとえば、体のどこかに「できもの」ができた場合、その異常は目に見える。しかし、血中の中に溶け込んでいる糖分の量とか、神経をつたわる電気刺激の量などがふつうよりも多い、といった病気は、異常を直接目で見ることは難しい。
そこで、病院の人間たちは、さまざまな手法をあみだしてきた。血液を生化学的ツールを用いて調べる「血液検査」であるとか、神経の伝導を測定する「神経生理検査」であるとか、ほかにも呼吸機能とか心機能検査とかをゴリゴリ開発してきたのである。
検査のやりかたは、医学の長年の歴史の中でそうとう試行錯誤されている。昔使われていたけれど今はもうやってない検査が山ほどある。同じ検査であっても試薬が変更になっていたり、機器の精度が高まっていたりと、とにかくずーっと進化している。
さて、がんなどの「かたちのある病気」を検査するにあたっては、病気のかたちを正確にとらえるためにCTやMRI、超音波や内視鏡などいろいろな「画像検査」が存在する。
で、これらの上に君臨する、最強のツールが病理診断だ。
異常なカタマリができたら、そこを切り出して、プレパラートに載せて色を付けて顕微鏡で見る。これほど解像度高く「病気そのもの」を見る手段はほかにない。だから病理診断というのは150年の歴史のあいだ、ずっと最強なのである。
病理診断の手法は、ほかの検査に比べるとあまり変化していない。「色を付ける」のくだりで多少の改良が進められているにせよ、病気の根っこの部分にある細胞を直接見るという部分はずっと不変である。
ミクロの診断はこれからもなくなりそうにはない。
……と、思っていたのだが、やはりここも時代の流れにさらされつつある。世界中でいろんなラボが取り組んでいる新しい病理診断のやりかたは、従来のそれとはだいぶ違う。
今までの病理診断だと、顕微鏡で細胞をみるにあたっては、体からとってきた組織をうすーく切ってペラペラにして、光が透ける状態にしてから色をつけて、下から光をあてて上からみる。厚みある物体もぜんぶ2次元のペラペラにしてしまう。したがって顕微鏡像は2Dだ。細胞はすべて断面で観察する。
しかしこの2Dを3Dにしようという動きがあるのである。どうするかというと、まず、特殊な薬品を使って組織全体を透明にしてしまう。そんなことが可能なのか? と思いたくもなるが、実験レベルだと、マウスくらいの大きさなら骨もふくめてまるごと透明にすることができる。
薄く切らずに透明にした検体に、さらに特殊な薬品を使って中まで色を付けていく。でもこのとき色を付けすぎると透明にした意味がないので、細胞核のような「ここぞ」という部分にだけ着色することで、「透明でありつつ、中の細胞の構造もよくわかる」といった、……そうだなあ……ゼリーの中にうかぶフルーツが見える、みたいな状態にしてしまう。とんでもないアイディア、すさまじい技術だ。
できあがったゼリーもしくは煮こごり状の検体を、「3次元用の特殊な顕微鏡」でスキャンする。人間が上から覗き込むというよりも、CTスキャンのように、3次元情報を断層でばりばり取得してPC上で再構築する。
これをやると、細胞が本来からだのなかでどのように配置しているのかが、「3次元の状態で」見えるようになる。何度か見たことがあるが、ほんとうにぎょっとするすばらしい絵がみられる。
※興味があるひとはこの動画をどうぞ。さほど長くないけど2分くらいのところが視覚的にわかりやすい。
膵管周囲に配置するランゲルハンス島の分布、腫瘍を取り巻く血管構築……。
いざ、3次元で細胞の配列を見始めると、便利なことと不便なこと両方が生じる。
まず不便なほうとしては、これまで2次元で観察してきたノウハウの一部が使えなくなるというのがそこそこでかい。従来の顕微鏡ならこう見えた、という感覚がフッ飛ぶので、経験の長い病理医ほど3次元画像にはあわててしまう。
でもそれでいいのかな、とすら思う。3次元画像にはやはり情報が多く、2次元のときよりもさらに診断の精度があがってくるのではないかという予感がビンビンする。炎症に伴う大腸陰窩の変形とか、腫瘍における血管の異常走行パターンなどは、あきらかに3次元のほうが見やすい。これまで「病理ではわかりません」と言っていた検索が3次元病理だとできる。
将来AIが発展して病理医が用済みになるのでは? みたいな意見、最近はさすがに聞かなくなってきた。AIというものがどういうかんじで仕事をするのかがみんなよくわかってきたからだろう。その一方で、「将来3次元病理が発展したら」どうなるのかを考えることもまた楽しい。2次元診断病理医が用済みになるだろうか? いや、まだ、組織透明化は完全ではないし、標本処理の過程でRNAが死ぬから一部の検査ができなくなるなど制限もある。でも、それでも、3次元病理、とてもおもしろいし、こんな手間のかかる技術を習得できるのは、処置も手技も病棟管理も一切担当しない病理医みたいなへんくつな職業人以外いないだろう。我々の仕事は増えるばかりだ(うれしそうに書く)。