冗長性という言葉を最初に目にしたのはおそらくTwitterで、プログラマーがこの言葉を使っていた。てっきりネガティブな意味だろうと思っていたらわりといい意味で、うーん日本語は難しいなと思った記憶がある。
いちおう余っているとか余分なものがあるという意味なのだが、IT業界では「無駄に余っている」のではなくて、「余力がある」というニュアンスで使う。あるシステムを念のために二重に作り込んでおいて、片方がつぶされてももう片方が生きているから安心、つまり予備があるから安全だよ、冗長性があっていいね! ということになる。ふーんなるほどね。
もとはredundancyという英語で、リダンダンシーと発音するのだがなんか珍しい語感の言葉である。リダンシーじゃなくてリダンダンシー。離断男子。ちょっと男子~、離断してないでちゃんと掃除してよ~。
語源を遡っていくと、re-もしくはred-というのは再び、みたいな意味合いで、昔のマンガにあったreborn(リボーン)なんかのreも同じだろう。次に続く-undo-が、あふれるとか波打つという意味らしい。あわせてredundoであふれ出るという意味合いになるのだそうだ。何度も波打つとあふれてくるのだ。語源の部分にも、くり返しあふれてくる潤沢な感じというのが含まれている。
それに語尾としてansという現在分詞を付けることでredundans, redunduntという言葉ができ、名詞形にしてredundancyである。冗長な説明になったことをゆるしてほしい。
余剰など考えられないような暮らしをみんながしている。スタッフの人数はいつもぎりぎり。一人が病欠するととたんに回らなくなる仕事。めいっぱい努力して資格をとらないと運用できない社会。
だからみんなもっとのんびり、余裕をもって暮らそうよ、と書くのが普通のブログなのだろうが、ぶっちゃけて言うとぼくは「余剰」が怖い。余裕のある暮らしとはまだ努力の伸びしろがあるということなのだから余裕がなくなるくらい働いてみようぜ、という気持ちでずっとやってきた。45年もの間……いや、42年くらいだろうか。さすがにこの3年間息切れしたかなと思う。
のんびりしたくてのんびりしているわけではない。力尽きて失神している時間が長くなっただけだ。
ジャンプカットすればするほど視聴者数が増えていくYouTubeの動画がおもしろくて見やすいなあと思ってしまう。たまにQuizKnockを見たりヘアピンまみれを見たりしてスキマの15分を潰す。余った時間が怖いからコンテンツを叩き込む。積み本というのが苦手だ。たくさん本を買うとそれが読み終わるまでほかのことが手につかない。
冗長な暮らしなんてあり得ない。
冗長性はシステムのリスク管理として大事な概念だという。ぼくが抜けると回らなくなる職場がいくつもあったから、ぼくは冗長性をうまく用意できていないということで、システム上の脆弱性を指摘されることになる。従ってこの3年、黙って失神していたわけではなく、ぼくの代わりがいくらでもいるということを各方面に周知して回り、多少は職場が冗長な感じになってきた。これからは自信を持って医学生や研修医に「うちは冗長な職場ですよぉ」と昼行灯の典型みたいなしゃべり方をすることができる。夜中ずっとついている行灯を昼にもともしつつゆっくりと寝る。