……こういうとき、なんで「胸の奥」って言うんだろう。正面から胸を開けるとたどり着くまでに時間がかかりそう。手術にあたっては側胸からアプローチすると良いだろう。解剖ならば、背中から開ける方法もある。若い病理医は知らないかもしれない。ぼくもやり方をしっているというだけで、実際に背中を開いての解剖をしたことはない。教わりはしたがついぞやる機会がなかった。だいぶ昔の技術である。
「胸の奥」のようなJ-POP的語彙。気づけば便利使い。
「きっちり送りバント」みたいなフレーズといっしょだ。
使い古されるには理由がある。今の世に残る慣用句のほとんどは、朗読したときに耳あたりがよい。「取らぬ狸の皮算用」。「秋の日はつるべ落とし」。口を開いて実際に発音してみると、母音のほどよい散らばり方、舌の動き、有声音と無声音のバランス、いずれも絶妙である。
「病理医ヤンデル」という名前を決めるときに気になったことがある。発音してみると、どこかもったりとしていて、有声音が多くて足腰が重い感じがして、「カ」とか「ツ」とか「サ」のようなキレよく消えていく音が一切使われていない。自分を先生と呼ばせる「ヤンデル先生」というフレーズのほうが発声的には収まりがいい気がして、「先生と呼ばないでくださいムーブ」にいまいち乗り切れなかった。
音は重要だと思う。古い言葉ばかりではなく新しい言葉にも言えることだ。「プリ機歩いてる」「かわちぃ」なども音のバランスがよいからつい口に出したくなる。「スレッズ」はぜんぜんだめだ。「エックセズ」だってもう誰も言ってない。書いて読むだけの文字情報も、結局のところ、声に出してみて気持ちいいかどうかによって、定着するかどうかが決まってくる気がする。ツイッターは軽薄。ツイッタランドは冗長。リプは軽快。リツイートは高慢。スパブロは中二。クオートはわかり合えない感じ。リポストは安売り感。フォロワーは敵。胸の奥の古釘が、遠くの音叉にわずかに共振して、鼻腔に響くタイプの有声音的な何かをずっとブーンと発している。インスタは刹那なのに足が重い。フェイスブックは台形状で下がぬかるんでいそう。ミクシィはあざとい。タイッツーはださい。ブログは粘稠度が高い。現実は非情。ネットサーフィンはいつもニヤニヤして本気を出そうとしない。