……みたいなブログをずっと書いている。
書き殴りだ。いやキーボードだから打ち殴りか。
19歳のころから、媒体を移り変わりながらなんだかんだで26年書いている。おかげでキーボードを前にすればとりあえず1500字とか2000字くらいの文章はすぐに出力できるようになった。けれども、もう少しよく考えてものを書きたい気持ちもある。それができたらどんなに良かったろう。いや、よけいにつらかったかもしれない。
ちかごろは、「ちょっと生きづらい人」が書くエッセイをざぶんざぶん読んでいる。又吉直樹、僕のマリ(これで人名)、道草晴子。なぜこんなにも生きづらい人の話ばかり手元にあるのかと不思議に思うが、ちゃんと理由があって、先日青山ブックセンターで平積みになっている本を手当たり次第に購入するイベントというのに出て、本当に手当たり次第に放り込んだらこうなっていた。そういう品揃えにぼくの目と手が反応したということだ。ひとまずエッセイばかり読んで小説を後回しにしている。小説もやはり、生きづらさを語ったものになっているだろうか。
創作というのはたいがいそうなのだろうか。
そうだろうか。
ここ1年くらいで読んで気に入った本でいうと、そういえば、田所敦嗣『スローシャッター』から感じ取ったものは「生きづらさ」ではなかった。「しぶとく生きること」というか。両者は同じかもしれないがちょっと違う。離人して俯瞰して書くか、縁辺視を強化して書くかの違い。田所さんの書くものは、ここしばらくぼくが読んでいるものとはちょっと違った。彫刻刀で少しずつ何度も削り取るような本で、ああいう文章が書けたらいいだろうなと思った。