2023年9月20日水曜日

病理の話(818) 核間距離の意味

細胞の配列や様相を表現するには、ある程度のボキャブラリーが要る。病理医を続けるにあたっては国語の勉強をしたほうがいいかもしれない。


核の形状を、「類球形」「葉巻状」「多菱形」「分葉状」などと言い表すとき、ものすごく快感……というほどではないにしろちょっとフフンと喜んでいる自分がいる。UFOの形を表すのに「円盤形」とか「アダムスキー型」といった言葉が使われているのと似た、「じんわりとしたワクワク感」がある。

ドンピシャの言葉を使えばきっと読者の脳内にちょっとした刻印をできるのでは? くらいのことを考えている。

とはいえ、専門用語まみれにするのも考えものだ。ニュアンスをきちんと伝えるだけじゃなくて読みやすさも考えておいたほうがいい。「太索状の増殖を示す腫瘍細胞が、毛細血管性の間質を伴いながら充実性に増殖しており、周囲のほぼ全周を比較的均質な膠原線維性の被膜に囲繞されています」。……いや、さすがに固いかなあ、囲繞はやめて、覆われていますくらいにしたほうがいいかなあ、みたいな微調整をする。


「所見」をどう書くか問題。


たとえば、「細胞がある範囲にどれだけ密集しているか」をいかに表現するか?

「細胞密度が高い/低い」という言葉があるが、これだけで伝わるだろうか?



細胞には、まるでタマゴの黄身のような「核」と、白身のような「細胞質」がある。ゆで卵を箱の中にいっぱいならべるのと、半熟卵をしきつめるのとではニュアンスが違う。どちらもきっちり限界まで入れれば「タマゴの密度が高い」と言えるけれど、ゆで卵における密度と、半熟卵の密度ではちょっと事情が変わってくる。

半熟さが強ければ、白身の部分が互いに押し合いへし合いして、ときに黄身が端っこに寄ったり、となりあった半熟卵の黄身どうしがくっつくくらい近接したりする。でも、固ゆで卵だとそうはならない。しっかりと白身の部分に弾力があるから、黄身どうしがくっつくほど近づくことはない。

細胞の密度を考えるとき、「核どうしの距離」を見ることでいろいろ情報が増える。核の距離が近いときには、ああ、この細胞は細胞質を保持する力が弱いのだろう、だから密度高く増殖するとお互いに押し合いっこになり、核どうしが近くなるのだろう、と想像することができる。

逆に、細胞はパンパンに詰まっているのだけれど、核の距離があまり近くない場合には、きっと細胞質がしっかりしているのだ。ゆで卵のように。


「細胞密度が上昇し、核が重積しています」のように、細胞が詰まっているだけでなく、「どのような形状で詰まっているのか」「細胞がどういう性状で、それらがどれくらい集まっているのか」を表現するのがいいと思う。



……いいと思う、って言われましても、ここにそんなに病理医は見にこないんだけど、なんかそういう仕事もしてるんですよ、という記録。