萩野昇先生がThreadsで連続投稿されていた文章を読んでいたら、こんな文章が出てきた。
”関節リウマチ、クローン病など、多くのサイトカインが関与する疾患が、たったひとつの「TNF-α」というサイトカインを抑制するだけで劇的に改善してしまった。例えて言えば、台風の中で二酸化炭素の濃度を下げるだけで台風が消えてしまったかのような印象を受けた”
そうだよなあ。なるほどなあ。
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医学を学んでいると、健康も病気も、すべて「複雑系」だと感じる。ひとつのファクターで何かが決まることがなく、あたかも将棋の局面のようだ。こっちに香車が利いており、あっちは銀が抑えていて、かたや角が潜み、互いの飛車が遠くからにらみあう。「全体としてやや後手が優勢」、みたいなかんじ。たくさんの登場人物たちのバランスによって、局面が形作られる。「犯人」がひとりに決まるようなことがない。
医療もこれに似ていると思う。
たとえば「がん」。「親ががんだったから子どももがんになった」とか、「毎日酒を飲んでいたからがんになった」みたいに、因果をひとつの矢印で言い表せることはまずない。細胞がおかしくなるに至った遺伝子異常も、1つのDNAがおかしいとか、2つのタンパク質が狂っているという話ではなく、数十、数百の遺伝子が異常を来していることがほとんどだ。それらがいっぱい積み重なって、がんという病気を形成している。サイコロを振るような「運」の側面もかなりある。
そんな中で、抗ヒトTNF-αモノクローナル抗体製剤であるインフリキシマブ(商品名:レミケード Remicade)が、関節リウマチやクローン病という病気を構成する登場人物たちのひとりでしかない「TNF-α」を抑え込むだけで、病気をまるごと良くしてしまうことに、ぎょっとするのだ。
はあ、そんなことがありえるのか、と驚いてしまう。
将棋でいうと、「そこに歩を一個置いただけで、相手が打てる手がすべてなくなってしまい詰む」みたいな感覚だろうか。
秘孔を突く、みたいなかんじにも近い。指先一つで大男がダウンする。
「そこに伏兵を置いたら全部ひっくりかえるじゃないか!」と敵将が愕然とする諸葛孔明の采配。
病理診断にもときに「重心」のようなものが存在する。
ある病気を診断する上で、細胞の形態がゆがみ、核の体積が増し、核小体が明瞭化して、細胞同士の結合性が低下し、細胞が織りなす構築が乱れ……。ふだんはこういう、複数のパラメータを同時にチェックしながら、総体として病気を診断していくわけだけれど。
ときに、「とある免疫染色ひとつで診断を確定させてしまう」ということが起こる。
たった一種類のタンパク質が異常に増えているからといって、ある病気だと言い当てることは、本当は難しいはずなのだが。
たまーに、「重心のところをそっと指で持ち上げるだけで全体がふわっと浮かぶ」みたいなふうに、診断できることがある。
「重心を針で突く」ように診断。めったに決まらないのだが、複雑系の気脈の要を抑えたかのような、不思議な達成感を味わうことになる。……とはいえ患者にとっては診断がついてからが大事なので、あまり喜んでもいられないのだが。