ブログの更新告知をXからThreadsに切り替えた。しかし、閲覧数がほとんど変わらなかった。
ここ数年は、だいたいどの記事も安定して900~1000くらいのUU(ユニークユーザー)に閲覧されており、たまにフォロワー数の多いアカウントが話題にすると瞬間的にその3倍くらいの人が見に来るけれど、次の記事からはまた元に戻る、といった感じだった。
さすがにXでの告知を辞めれば、見に来る人は減るだろうと思っていた。でも変わらなかった。
おどろいた。
フォロワー数は20倍くらい違うのに、閲覧数が変わらないなんてことあるだろうか?
そして、考え込んだ。あるんだろうな。
この1000人は、だいたいいつもぼくの書いたものを読んだり買ったりしてくれている人たちなのだろう。
そういう人たちの多くが、Threadsのアカウントを作ってくれたから、告知先を変えてもブログの閲覧数は減らなかった。
あるいは、Xとは無関係に、RSSなどを用いてブログ更新を確認してくれていた人もいたのかもしれない。
とてもありがたいことだ。
ぼくは長年、「Twitterのフォロワーは味方ではなく敵」という言い方をしてきた。動物園の猿を見に来る群衆、という表現でもいい。アカウントは見世物、それを見に集まってくる人が味方なわけはない。
しかし、今のところ、Threadsのフォロワーは味方なのかもしれない、という気持ちがじりじり湧いてくる。歴史が浅くまだ微妙に使いづらいThreadsを使ってまでぼくの出す情報を読みに来てくれるというのだから。
そのことがわりと「気持ち悪い」と、直感的に思ってしまった。
申し訳ないがそれはぼくのやり方がファン商売になりつつあるということだからだ。
商売、すればいいじゃない、と人はいう。しかしぼくはいやだ。
もっと殺伐とした関係のほうがいい。
SNSで味方ばかりに囲まれるというのはエコーチェンバーの温床である。
noteの有料マガジンでファンだけを囲い込んだり、Faniconで課金額を変えてメンバーごとに優劣を付けて秘蔵の動画を開陳したりするのは、客商売、芸能商売の人ならばどんどんやったらいい。生活のためにがんばればいい。エコーチェンバーもどんどん利用していけばいい。そのほうが確実にもうかるのだ。
でもぼくは、そういうのはいやなのだ。
これは理屈ではなく単なる好き嫌いなので、かなり詳しく説明できるけれど、すべて説明できるわけではないから、あまり説明しない。
企業にも個人事業主にも、どんどん「ファンベース」で儲けて欲しいけれど、ぼくは、そういうのはいやなのだ。
社会のために何かメッセージ(たとえば医療情報)を発信しようと思っても、SNSを用いると、たいていの場合は特定のクラスタの中でだけ反響をくり返す。賛同は強化され、反論は先鋭化する。
そこをたまに突き抜けることがあって、それがいわゆる「バズ」ということなのだが、バズフィードジャパンがほぼバズらず特定のファンにしか受け入れられていないように、バズは狙って仕掛けられるものではない。
世の中でバズらせることを教えて商売をしている人たちもいるけれど、あれは、その実、クラスタ外にメッセージを届けることをやっているのではなく、「潜在的に囲い込まれたい人たちを自分のクラスタ内に取り込んでいくコツ」を教えている。
みんなそれぞれ自分の儲けの計算に必要なサイズのサロンを作ろうとしている。
そういうのを突き抜けて、サロン化させず、熱心なファンも作らず、もうけも得ず、「なんだかかき回すばかり」というアカウントになりたくて長年やってきた。それが「真のバズへの道」なのではないか? と考えていた。
真のバズというのは、本人にいいことはさほどおこらない。普段届かないクラスタにメッセージが届けば、クソリプもストーカーも殺害予告もやってくる。
でも、それで、普段あまり医療情報に興味がない人のもとにも、やさしい情報が届くかもしれない。
そこをきちんと狙いたいと、2019年の冬以降(SNS医療のカタチのメンツを手伝うようになって以降)はずっと考えていた。
そんな中、周りの人たちがどんどん「ファンを増やして安定した購読料を手に入れる方針」に変わってきて、ぼくはXの居心地が悪くなって、こうしてThreadsに逃げ込んで、もう少し違うやり方でいいことをできないかと模索している。
ところが、ブログ閲覧数を見て思った。Threadsにはファンが集まっている。
ぼくが逃げ回ってきた「ファンベース」の世界に、気がついたらはまりこんでいる。
ああ……皮肉だなと思った。「気持ち悪い」という感情の出所はここだ。誰もがファンベースで小遣い稼ぎを狙うようなSNSがイヤで逃げてきた先で、ぼくは、自分のファンを「濃縮」してしまったのだ。
ぼくはもう、人前でチヤホヤされそうな場所に出ないほうがいい。理屈ではない。感情的にやめたほうがいい。
一部のマニアにしっぽりと理解されるようなほうがいい。そもそも病理医というのはそういうモチベーションで仕事をする人種だ。
Xは大衆に広がった時点でぼくがやりたいものではなくなっていた。昔のように、オタクの居所のままであったなら、ぼくはまだあそこにいることができたはずだ。
SNS全体がファンベースになりつつある気もする。となれば、ぼくの根っこを癒やすためには、SNSからももっとはっきり撤退したほうがいいだろう。
ネットワークの深部で、硬い情報を供給する側に回ろう。
ぼく以外の、ファンを集めてサロンを作ってお金をもらいたい人たちが、ぼくがこれから整備する「公的情報」を用いて「最高の医療情報を見つけてきたよ! さあ、ぼくのファンたち、この情報を見て安心して医療のことを考えてくれ!」と、バズってお金稼ぎをすればいい。
ぼくのファンはただちに解散してもらいたい。Threadsにはヒリヒリするような好敵手だけが残って欲しい。そうじゃないと、つまらなくて、やるせなくて、今までやってきたことが全部なくなってしまったような気になって、週末の深夜にがっくりと落ち込んで、スマホを閉じてビールをゆっくり飲む暮らしに適応してしまう。