細胞を見て、がんか、がんじゃないのかと判断するにはなんらかの基準が必要だ。その基準が「一種類」ならいいのだけれど、なかなかそうもうまくいかない。
病理医になるための訓練をはじめてしばらくの間は、診断の基準、あるいは根拠を、きちんと報告書に書くように指導されることが多い。
「がんです。」
とだけ書いてもだめで、「ナニナニがコレコレしているから、がんです。」と、自分がなぜそれをがんと判断したのかの筋道を示すのである。
ここでよく使われるのはたとえば次のようなフレーズだ。
「核の腫大」。細胞の核が普通のものにくらべて大きく腫れ上がっているということ。
「クロマチンの増加」。核の内部にある染色体がいつもよりも濃く染まっているということ。
これらの所見があると、ある細胞を「がん」であると認定しやすい。
ただし実際には言うほど簡単ではない。核が大きくなるとか、クロマチンが濃くなるといった現象は、がん以外の細胞にも見られるからだ。
「がんっぽい見た目になっているけれど、じつは良性」という細胞があり、始末が悪い。がんだと判断して手術をして、臓器を採ってきてよく見たらがんではなかったというとき、「なーんだがんじゃなかった! よかったねえ」で済ませられるかどうか。がんじゃないのに大事な臓器を切り取ってしまったことがダメージとしてのしかかってくる。
そこで病理医は、ある細胞が「がんである根拠」を、より深く考える。
「核の腫大」だけで終わらせない。より細かく読み解く。たとえば、もともと卵形をしている核がパンと球形に張り詰めるようにふくらむのと、だらしなくビロビロに伸びた靴下のようにふにゃふにゃと大きくなるとではだいぶニュアンスが違うだろう。
「クロマチンの増加」だけで終わらせない。核の中の、核膜と呼ばれる部分の色がどれくらい濃くなっているのか。核の内部とくらべてどうなのか。中身が増えて色が濃くなっているとき、その部分の模様は、大小のツブツブが入り混じるごま塩状なのか、均質で微細なテンテンが多くみられる塩状(ごまがない)なのか、それとも、スマッジと呼ばれるべったりとした油絵風なのか。
これらの所見をひとつの細胞で判断するのではなく、隣同士の細胞と見比べてどうなのかを考える。近所の細胞がぜんぶ同じような見た目になっているのであれば、それらは「同一の起源から発生した兄弟」であると判断することができるし、逆に周りにいる細胞どうしが似ても似つかないほど異なった核性状をしているなら、「増殖の異常がつよすぎて、足並みが揃っていない状態」ではないかと推察することも可能だ。
核どうしの距離はどうか? 核の向きは揃っているか? マスゲームのようにあらゆる細胞が同じ方向をむいていたらそれは何かおかしなことが起こっている。逆に本来は秩序をもって並んでいてほしい場所で細胞の向きが好き勝手バラバラだったらそれはそれで異常だ。
近所に「正常の細胞」があるとわかっているならそれと見比べるのもよい。まわりにたくさんの細胞がある中でこの一角だけ妙に色が濃い、となればそれはきっと意味のある所見だ。
そしてこれらを、どんどん組み合わせていく。
「内腔の細胞と基底側の細胞のおりなす『二相構造』は消失しているからがんかもしれない。しかし、核異型はさほど強くないから、核だけでがんと即断できるわけではない。ただ、周りの細胞とくらべてこの一角だけは隣近所の細胞が似通っているように見える。核のクロマチンは軽度増加し、ときおり核小体が顕在化していて、核膜はさほど不整ではないのだが核のサイズが軽度増加して、それもパンと張っている感じがする。免疫染色を行うとbasal phenotypeマーカーが一切内部に混じってこないのは良性としては少し気になるところだ。管腔内に壊死がある場所がある。これらを総合すると、この一角はがんだろう。」
これくらい、こねくり回した内容を、すべて報告書に書いてもだめだ。病理医以外は何を書いているかよくわからない。主治医すら振り落とされてしまう。だから、以下のようにまとめる。
「異型を有する細胞が均質に増殖しておりがんと判断します。」
異型、というのは「正常からのかけはなれ」という意味だ。異型を有する、すなわち、「ふつうじゃない」くらいの意味である。今の一文には実際ほとんど意味がない。がんだからがんです、と言っているのと近い。でも、病理医は、こう書く。「異型」というのが具体的に何を意味するのかをしっかり吟味した上で、主治医や患者を振り落とさないために表現を簡単にまとめて、「異型を有する」と書く。ほんとうは裏でいろいろ考えている。