2023年9月11日月曜日

病理の話(815) 免疫染色のむずかしさ

病理診断においては、「免疫染色」という技法を用いる。正確には免疫組織化学というのだがここでは免疫染色と呼ぼう。

細胞の中にある「興味のあるタンパク質」やそのかけらを認識する「抗体」というものを、プレパラートの上にふりかける。この抗体にさらに発色する試薬をくっつけておく。

すると、自分が興味のあるタンパク質の存在する場所だけが特定の色に染まってみえる。

たとえば下記をみてほしい。胃粘膜にできたある良性のかたまりに対する染色である。

左:病理医がいつも用いる、H&E染色というピンクと青紫の重染色を行ったもの。
真ん中:MUC5ACというタンパクに対する免疫染色。
右:Pepsinogen Iというタンパクに対する免疫染色。

免疫染色では、茶色くなっているところを「陽性」と考える。


すべて同じ画角であることに着目してほしい。プレパラートをつくるときに、組織にカンナをかけるように「薄切」を行うのだが、このときに同じ部分をいっぺんに何枚も切っておいて、それぞれ違う染色をすれば、同じ画角を異なる染色で見比べることができる。

上の画像でいうと、MUC5ACは表面付近に陽性像が集中している。Pepsinogen Iはもう少し深い部分に陽性像がみられる。肉まんの生地の部分と肉の部分のような関係になっているだろう。

これは、同じ病変の中でも、部位によって細胞がもつタンパク質が異なるということを意味する。分業ができているのだ。





こうして免疫染色を写真で出すと、勘違いする人も出てくる。「茶色ければ陽性!」と即断してしまうのだ。でも、じつは、免疫染色の評価はもう少し難しい。

顕微鏡の拡大を上げると、たとえば、細胞全体に色がつくというわけではなく、細胞の中でも核だけが染まるとか、細胞膜に沿って染まるとか、核の横にあるゴルジ体に一致してドット状に染まるとか、細胞質内の神経内分泌顆粒の分布にあわせてごま塩をふったように染まる、といったように、タンパク質の居場所や配列にあわせて染まり方が異なることに気づく。

たとえば、核内タンパクを染めるための免疫染色で、細胞質が染まってしまったら、それはなんらかの「ミス」があるということだ。

染色を失敗したのかもしれない(染め物だから、染めすぎみたいなことがたまに起こる)。

あるいは、細胞が異常を来していて、本来であれば核の中にあるはずのタンパクが外に漏れ出しているのかもしれない。


染まりのパターンを見て、細胞生物学的な知識と照らし合わせて、「この場所にこうして染まっているからには、こういう意味があるはずだ」と考察するところまで含めての免疫染色だ。

けっこう難しいんですよ。



ちなみに最近みた例でいうと……新型コロナワクチンのスパイクタンパクに対する免疫染色、というのがあって、これでワクチンの有害性を証明しようとした論文がある。へえ、そんなのがあるのか、なるほどなーと思って写真を見たら、細胞があまり存在しないような血管壁の内部に染色性が集中していて、ああこれはアーチファクト(染色のエラー)だなとすぐにわかった。

おまけに、スパイクタンパクの沈着像とされる部分のカウンターステイン(詳細は避けるが、細胞の輪郭をぼんやり染めるための別の染色)を見ると、その周囲になんの病的変化も認められないのである。少なくとも、スパイクタンパクのせいで病気になった、という主張ができるような写真ではない。

これでは二重にミスなのだ。染色はうまくいってないし、染色の解釈も失敗している。しかし、論文として発行されている。なぜそんなことが起こるのだろうと思って論文の掲載された雑誌を見ると、いささか、査読に問題がありそうな、へんな雑誌だった。

たとえるならば、エログロゴシップ誌に政治史を投稿するようなものだ。ポリシーに合っていないとしか言いようがない。

病理医もしくは臨床検査技師でない限り、免疫染色のミスは判断が難しい。あの免疫染色像をもって意味のあることを言おうとした人は、ちょっと気の毒だ。まともな病理医が近くにいれば、人前で説明するより先に、「この写真はおかしいから染色をやり直そう」などのアドバイスができたはずだし、「一見陽性に見えるけれど、その周囲に血管炎を示唆する所見がないのだから、これでは意味がないよ」とコメントできたはずなのだ。ああ、まともな病理医さえ近くにいたらよかったのになあ。かわいそうに。