2023年10月4日水曜日

病理の話(823) 病理医のインストールとDLC

いつも以上に主観的なことを書く。

だいたいひとつの職場に15年いると、その職場で体験しがちなシチュエーションや、求められる職能・スキルの「インストールが終わる」。


たとえばぼくの場合、当院でかなり頻繁に施行されている胃や大腸の「生検」と呼ばれる検査について、あれこれを習熟するのに10年ちょっとかかった。内視鏡医がどういう場面で、どういう患者からどのように検体を採取して、それをぼくらがどのように診断すると患者のためになるか、という「セット」がまるまる身につくのにそれくらいは必要だった。

正直、こんなにかかるとは思っていなかった。

なにせ、「胃生検標本の見かた」みたいな本はたくさん出ているし、「大腸の炎症性腸疾患の考えかた」みたいな雑誌の特集もいっぱいあるわけで、これらをさっさと極めれば、もっと早めに独り立ちできるだろうと考えていた。

じっさい、教科書と首っ引きで顕微鏡をみる訓練は、せいぜい3年とか5年もやれば一定のレベルに達する。ぼくより座学が得意なタイプだったらもっと早かったかもしれない。1年も経たずにある程度標本が見られるようになる病理医も多い。もともと情報処理能力が高い人たちが病理医になるのだから、当然といえば当然だ。かんたんに言うと「頭がいいんだから頭を使う仕事はすぐできるようになるはず」である。

しかし、顕微鏡像を見て考える知識自体は5年で手に入っても、それを病理診断というかたちに落とし込む仕事や、さらには「主治医とコミュニケーションをとって病理診断をよい医療に結びつける仕事」を自然にこなせるようになるのに、もっと長く時間がかかった。

ぼくは5年目くらいのときに、「よし、これでなんとか病理医っぽく働けるぞ」と思った記憶がある。しかしそこからの道は険しかった。

主治医が悩んでいる難しい症例では、病理診断も難しくなりがちだ。教科書にあるような典型的な細胞像や細胞の配列を来していない。そのため、「主治医が悩んで病理医に電話をかけてきたときほど、病理医であるぼくも悩んでいてなにも言えない」みたいなことがよく起こった。

これにずいぶんと悩まされた。

臨床医が悩んでいるときに一緒になって悩む病理医なんて、「存在価値」がないのではないかと感じたからだ。

レベルアップの必要性を感じ、ぼくの場合はそこから臨床医のものの考え方(臨床医学)を追加で自分にインストールすることを選んだ。追加コンテンツである。

ただ、それらの追加のおかげで今しっかり働けるようになったのかというと、どうもそういうわけではないんじゃないかな、と思うのだ。そもそも、5年の段階でインストールが終わっていたというのが「誤認」ではなかったか。


教科書に載っている細胞の写真と向き合うのに5年。しかしそこでじつは「専門知基本セット」のダウンロードはまだまだ終わっていなかった。現実にいる患者からひとつながりになった先にある「生きた細胞」(※採取した時点で死んでいるのだが)を見ることには、問題集や写真集から得られる情報量と比べてかなりの差があった。その膨大なデータを処理するためには、

・現場特有の、主治医の考え方

・現場でありがちな、細胞の見え方

・あるバックグラウンド(背景)で、ある選択圧がかかった状態でやってくる患者の傾向と、それにあわせて出現する細胞のニュアンス

などを、「リアルに経験して」学んでいく必要があった。ダウンロードもインストールも5年で終わるわけはなかった。



そして、これらのインストールがようやく終わった今、思うことがある。


アプデがめちゃ多い。毎週のようにバージョンが更新されていく。追加ダウンロードコンテンツ(DLC)も豊富だ。現在現場生活16年、医師生活20年(途中大学院に行っている)で、ようやく基本セットをコンプしたかしてないかといったところ。先は長い。奥は深い。課金……ウッ頭が……。