むかし受けた「希少がん病理診断講習会」のテキストを読み直している。とある難病についての項目だ。
遭遇頻度が低く、日常の診療の場面ではなかなかお目にかからない病気である。病理の教科書を見ればだいたいどんな細胞かは書いてあるが、これだけ珍しい病気だと、写真数枚で「わかった気持ち」になることはとうていできない。
そこで、むかしの講習会のテキストを引っ張り出してきて、教科書に載っている写真と見比べながら勉強をする。
ちょっと考えてみてほしい。
あなたは「ゾウ」という動物をそれなりに知っていることと思う。
ゾウとキリンとカバを見分けてみてください、と言って失敗する人はまずいないだろう。
それどころか、「ゾウのシッポの長さってどれくらいだっけ?」と人に聞かれたとしたら、頭のなかでもやもやとゾウを思い浮かべて、あてずっぽうで「ぼくらの腕くらいじゃない?」などと答えることもできるのではないか。
ただし……ゾウのシッポは本当に腕くらいの長さだろうか。
そこは少し心配だ。
さすがにそこまで詳しく覚えているわけではない。
そこで写真を探す。ググってもいい。図鑑を見てもいい。
するとゾウのシッポは思いのほか長いことがわかる。平均して150センチと書いてあるホームページが見つかった。小柄な成人くらいのサイズはあったのだな。へぇ。
このとき、写真の枚数は、「シッポがきちんと写り込んだ1枚」があれば足りる。欲を言えば、なにか、長さのわかるような比較対象物が近くにあればもっといいのだけれど。
では次に、「ヒメカンテンナマコ」のことを考えよう。
あなたはこの不思議な動物のことをご存じだろうか。大きさ、形状、色合い、どこに住んでいるか。テレビやネットで見たことがある人がいるかもしれない。しかし、まるで聞いたことないよという方が多いのではないかと思う。
さあ、ヒメカンテンナマコのことを知るにあたって、写真1枚で足りるだろうか?
1枚あれば十分だろ、とお思いかもしれないが。
写真1枚で、カンテンナマコとクロナマコとイカリナマコとシイナマコトの区別をつけられるだろうか。
私なら、ちょっと自信がない。シイナマコトくらいはわかるかもしれないが。
ナマコのように「普段、見慣れない生き物」だと、写真1枚くらいではよくわからない。
サイズ感とか。どういうところに住んでいるかとか。ちょっと角度を変えて見たときの感じとか。
ゾウくらい知名度があれば写真は少なくて済む。しかしナマコはたくさん写真がないときつい。
もっと言えば、写真だけではわからないことだってある。
じつはヒメカンテンナマコは光る。
あと、どうでもいいけど、ヒメカン・テンナマコ ではない。ヒメ・カンテン・ナマコだ。
ぼくは顕微鏡で細胞を見て診断をする。細胞の色や形を見て判断するわけだから、教科書の写真と見比べれば、たいていの細胞はわかる。そのわかりやすさが「形態診断」の良さであろう。
しかし、「よくある病気」ならばよいのだが、珍しい病気ともなると、教科書に載っている写真だけでは足りない。「ゾウ」なら図鑑程度でいけるが、「ヒメカンテンナマコ」だと図鑑数冊見比べてもまだ自信が持てないのと似ている。
教科書を執筆している人はその筋のプロフェッショナルだから、写真も選び抜くことに関しては定評があるし、「その病気の特徴をよく表した写真」ばかりを本に掲載する。しかし、誌面には限りがあり、枚数はどうしても少なく、普段みないような珍しい病気をわかるにはいかんせん足りない。
個人的には、一生の間に1、2回くらいしか出会わないような珍しい病気の場合、写真は100枚くらいないといけない。それだけの枚数を見比べてはじめて、その病気の「らしさ」が伝わってくる、という感覚がある。しかし、教科書1冊につき、珍しい病気の写真はせいぜい3枚だ。へたすると1枚、あるいは写真がないということだってある。
そういうときは、延々と論文を検索して、自分が納得するまで写真を集める。
もっとも、ヒメカンテンナマコだろうなあと思ってヒメカンテンナマコの写真ばかりを100枚集めて、よくよく見てみたら、これはヒメカンテンナマコにちょっと似てるけどハゲナマコではないか……みたいなことが診断の世界では起こる。今度はハゲナマコの写真を100枚集める。エンドレスだ。
ヒィヒィ言いながらずっとデスクで検索を続ける時間のことを、「働き方改革」の人たちは、「それは残業ではなくて自己研鑽ですので、残業代の対象ではありませんね」みたいに言う。まあそうだね、自己を研鑽しないと診断なんてできないからね。