食道、胃、大腸、肺、子宮頸部、子宮体部、胆管、膵臓……。
臨床医がいろいろな場所からちょっとだけ細胞をとってきて、それをぼくら病理医が見て考える。
この細胞はがんだな、とか。
この細胞は良性だろう、といったふうに。
臨床医が細胞をとるのはどういうときか?
診察や画像検査などをたくさん行い、よく吟味した結果、医者が「たぶんがんだろうな」とか、「がんじゃないと思うけど、できれば念のため細胞を確認したいな」と感じたときに、ここぞというタイミングで、細胞をとる。
つまり病理医に求められているのは、最後の確認だ。
病理医のひとことが決定打となる。
そのタイミングで病理医が「誤診」すると、たいへんなことになる。
臨床医が○○がんを疑った。病理医が細胞をみて、「おっしゃるとおり、がんですね」と言った。臨床医は納得! すぐに治療をはじめる。手術をしたり、抗がん剤をしたり。
ここで、手術でとってきた臓器の中に、がんがなかったら……。
大変なことだ。
とらなくていい臓器をとってしまったということだ。
あわてて、生検の細胞を見直す。
あのときはがんと思ったはずなのだけれど……よく見ると……非常に難しいが……これだけでがんと決め打ちするのは怖いかもしれない……。
これがいわゆる「病理医の誤診」である。書いていてぞっとする。
……「腕のいい病理医ならば誤診なんてしないはずではないか」?
理想をいえばそうだ。しかし、経験の長い病理医ほど、「検査の限界」を知っている。ちょっとした情報伝達のミスによって、ここまではっきりした誤診はしないまでも、ヒヤッとするような判断のずれが起こることは、……めったにないけど……ありうることだ。
「生検」というのはとても小さな組織片をとってくる検査である。小指の爪の切りカスよりも小さい。だから情報が少ない。病気の確定診断に使うには、本来、心もとない。それでも病理医はプロとして、わずかな検体から診断をする。
そんな事情のもとに、ときに病理診断においては、「がん疑い」という診断名が付けられる。
「細胞まで見ておいて、疑いとは、ずいぶんと弱気だなあ」。
たしかにそうかもしれない。でもぼくの意見は逆だ。そこで「強気」になることで、誤診が起こってしまうのだから。
「疑い」という診断名には一定の価値がある。
でも……価値があるのは間違いないけれど、やっぱり「疑い」というのは困った診断名である。
「疑い」どまりだと、臨床医は治療に踏み切れない。
ここはジレンマである。
臨床医も病理医も、とにかく慎重だ。患者に負担をかける治療、手術や抗がん剤や放射線などをする際には、なるべく確定した情報をもとに話をすすめたい。
「疑い」までしか病理診断できなかった場合には、たいてい、「再検」が行われる。
もういちど検査をくり返すということ。
「はっきりしたがんが見える」まで病理診断をやり直す。
当然の慎重さだ。
しかし。
誰もがじりじりとする。
患者はもちろんだが、主治医も、そして病理医も、「がんかがんじゃないのか、早く決まってくれ!」と感じる。
幾度目かの再検で、これはもう誰が見てもがん細胞だ、という細胞が検出される。このとき、病理医は思わず、
「やった! はっきりしたがんが出てきた! 良かった!」
と言いたくなる。そして1秒後にすかさず否定する。
「がんが出たのだから……良かったってことはないわな……うん……良くはないわ……」
でも、診断がつくかつかないかの宙ぶらりんで、いつまでも体の中に病気を抱えたまま、治療がストップしている状態にくらべたら、やっぱり、思わず「良かった!」と言いたくなってしまう。このへんの事情やニュアンスを、どうか汲んでほしい。がんで良かったってことはないんだけどさ。
ところで、ぼくがこれまでに習ってきたボスの一人は、生検でがんが検出されるたびに、「大変だ……」とか、「うーん、かわいそうに」とか、「出ちゃったねえ」と、悲しそうな顔をした。
それを見たぼくは最初、年間に何千人もの患者の細胞をみている病理医が、主治医でもないのにいちいち患者に感情移入しているなんてどれだけ情に篤いのかと、ずいぶんびっくりした。
しかし、医師として長くはたらくうち、自分が細胞をみて「がん」と名付けたあとにどれだけの人たちが苦労して対処していくのかを具体的に知るにつれて、いつしかボスとおなじように、「あちゃあ」とか「うーん」とか言うようになった。
そんな当時のボスも、むずかしい症例を「疑い」「疑い」で診断し続けたあと、ついに出てきたがんの「本体」を前に、思わず「良かった……捕まえたな。」と言ったことがあった。そしてやっぱりすかさず、「いや、良くはないけどな。」と言った。ああなるほどそうなんだなあと思った。
※本日は話の流れ上、臨床医がこれはと思った人からしか細胞をとらない、という語り方をした。ただし「健康診断」は別である。ぜんぜん具合が悪くない人から細胞をとってくる。この場合、病理医が仮に「がんだ」と言ったとしても、臨床医はまだその患者をきちんと見立てていないので、「病理医ががんだと言っているのであらためて検査をしますね」というように、いちから診察を組み立てる。病理医ががんだと言ったら即手術、とは限らない。