2023年10月23日月曜日

病理の話(829) 診断を信用してもらうためのくだらない小手先の技術のこと

今度、テレビに出る。もう少し先の話だけれど、今、そのテレビの出方を考えているところだ。「2002」があしらわれたメガネでもかけていこうか。ウサギの耳をつけていこうか。わかりやすく白衣にすべきか。


職場で白衣なんて昼食のとき以外には着ていないのだが、医者といえば白衣、わかりやすいモチーフで一気に説明を省くというのはいかにも大切なことだと思う。マリオに数ドット分のデザインを増やし、具体的には「帽子のつば」をつけることで、今マリオがどちらを向いているのかを瞬間的にプレイヤーに把握してもらう、みたいな話。白衣を着た人が画面に映れば瞬間的に「今からなんとなくテレビの人たちがそれなりに信じている医者っぽい人が出てきて人体の話をするんだろう」ということがナレーションなしで伝わる、それはとても大事なことだ。プレゼンテーションの「デザイン」として、われわれはもっと、白衣を効果的に使ってよいのだと思う。


ところで「白衣高血圧」という言葉がある。患者が家で測った血圧とくらべて、病院で測る血圧はだいたい10くらい高い。それは白衣の人びとを目の前にして緊張するからだ、という話。ちなみに「白衣脱水」というのもあると思う。中高年は誰もがだいたいおしっこが近くなるものだが、病院に着くまでにいくつもの交通機関を乗り継ぎ、病院の待ち合いでもいつまで待たされるかわからない状態で、あまりトイレにばかり行くわけにもいかないから、病院を受診する患者はいつもより水分の摂取を控えてしまいがちだ、だから診察室ではいつもより少しだけ脱水傾向にある……のではないかと思っている(白衣脱水という言葉は今ぼくが考えたもので、一般には特に言われてはいない)。


「医者」らしさが前面にデザインされた場において、患者は緊張し、ときに萎縮し、あるいは興奮し、何なら少しだけひからびることすらあるということ。

さて、ぼくは果たして、テレビでなにがしかのメッセージを発するときに、見る人に微弱なストレスを与えてでも「今から医者がしゃべるのですよ」というデザインを採用すべきだろうか?


ここから病理の話。病理診断においては、「診断者名」を記載する欄がある。当たり前だろうと思われるかもしれないがけっこう重要なポイントである。この診断が誰によって書かれたか、という情報は、主治医が診断書を読む際の事前情報として、知らず知らずのうちに主治医の価値判断、その後の診療方針に影響を与えるからだ。あの病理医が診断したなら信用できる、あの病理医は信頼ならない、みたいなレベルの話ではなくて、「この病理医が難しいと言っているからにはいつもと少し違う病態だから気を付けたほうがいいかもしれない」みたいな、けっこう長めのニュアンスが、診断書の署名ひとつから匂い立ってくるものなのだ。

ぼくはそういうのを一時期くだらないことだなと感じた、まるでバラエティ番組で適当なダイエット情報を語る美容外科医がきれいすぎる白衣を着ているときのようなマイルドな不快感を覚えたものだ。しかし今はわかる。膨大な量のコミュニケーションをくり返して医療を為していく我々は、ときに、「前提をいちいち言葉で説明しなおすことなしに、なるほどそこはそっちできちんとやってくれているんだよねと、お互いにのみこんで、プロセスの前半をふっとばしていく」というショートカットを必要とする。そのために「署名」は必要なのだ。同じことは「専門医資格」にも言えることだし、おそらく「博士号」にも言えることで、そもそも論としては「医師免許」にも言える。これらはすべて前提情報であり、あうんの呼吸を途中からスタートさせるためのロケットスタート用ターボなのだ。ぐだぐだ言ってないですべて取っておいたほうがいい。