2023年10月30日月曜日

イギェァアン大学でギャァアッラァビールを呑みながらウオオオ

「エールを送る」のエールって何語なんだろうと思って調べる。英語だった。Yellと書く。

日本ではもっぱら応援の意味で用いられるが、英語圏だと応援の声だけじゃなくて、歓声や悲鳴なども含まれるらしい。

もとを辿ると、古英語の「giellan」や古ノルド語の「gjalla」に由来する。鳴き声や叫び声を意味しているという。

Yellの字面だとあまりわからないけれど、giellanをローマ字読みすれば「ギェァアン」だし、gjallaに至っては「ギャァアッラァ」だ。たしかに応援というより悲鳴とかときの声とか、どっちかっていうと絶叫系だなということがよくわかる。

というわけで、エールを送るには大声でウオオオオとやるのが一番いいようだ。

なぜそんなことといきなり調べたのかというと看護学校の授業に端を発する。「実習が終わったのでエールをください」と感想欄に書いてあったのだ。エールを送るっていまどきの子も使うんだな、と思っておもしろかった。とはいえ学生たちはやはり、ぼくらの世代とは言葉のセンスが違うので毎日のように驚かされている。たとえば「やりらふぃー」って知ってる? パリピとかチャラい人たちのことを言うそうである。びっくりした。まったく字面から想像できない。それを言ったら、「エール」もわからなさという意味では似たようなものだけど。

先日読んだ本に、「わからない間はコミュニケーションが続く」と書いてあった。仲の良い時期をとうに過ぎてしまった夫婦が「はいはいわかったわかった。」みたいなあいづちを打つでしょ、付き合いたてのカップルだと逆に「あなたのことが知りたい(まだわからないから)」と言うでしょ、そういうことだよ、わからないほうが長続きするんだ、とあってハハァなるほどなーと思った。上手な考え方だなと思う。

最近、インターネットにはどうでもいい行動、害のある行動ばかりが目につくが、そんな中でいちおうみんなにも自分にもおすすめできる行動が「推し」である。「好きなものを応援する言葉をTLに流して、世の中に存在する推しへの愛の総量を増やすのだ」みたいなことを言われる。確かにその通りだ、どんどん推していこうと思ってぼくのSNSの使い方は少しずつ本などの推しを語る場になっている。ただし、その副作用というか副反応として、ぼくは最近、推したいコンテンツのことを「わかろう、わかろう」としすぎていなかったろうか。わかりたい、わかれるはずと、前のめりで知ろう知ろうとしすぎてこなかったろうか。

その点『ハンチバック』は違った。あれは「わかってたまるか」の本だ。読者がどの角度からにじりよっていったとしても、「このジャンルの詳細をお前がわかるわけないだろう」という拒絶の風圧でおしもどされてしまうような本。「わからないこと」と「断絶」を書き切った文学にぼくはひどく感動してしまったのだった。わかってたまるか、を忘れてはいけないのだと思う。わかりたいという感情と、何も矛盾しないままに、抱えていていいものなのだ。