2023年10月2日月曜日

病理の話(822) 時代とともに見たり見なくなったりするということ

時代はうつりかわる。


むかし、私が産まれる前の話、肝臓のがんは、「見つかったらもう全身に転移している」か、「亡くなってから解剖によって発見される」ものであったという。肝臓は俗に「沈黙の臓器」とよばれ、病気があっても症状として出にくい。

さらに悪いことに、当時は、肝炎ウイルス(B型肝炎とかC型肝炎とかいわれるあれの原因)が肝臓がんのきっかけになるということがわかっていなかった。そもそもこれらのウイルス自体が発見されていなかった。

どういう人に肝臓のがんが出やすいかがわからないと、「早めに検査する」ことができない。国民全員に毎年肝臓の検査を受けさせるわけにもいかない。


しかし、医学は少しずつ進歩した。肝臓にどういう病気をもっているとがんになりやすいかが、少しずつ突き止められ、肝臓のがんになりそうな人を集めて検査できる態勢が少しずつ整っていった。

そんな肝臓の医療の歴史において、ひとつめの大きなブレイクスルーが、「AFP」という腫瘍マーカーの発見だ。血液でAFPの値を調べることで、肝臓がんの多くがなんとなく見つかる。これはすごいことだ。

しかし、AFPの値が高くなってから見つかるようながんは、治療があまりうまくいかないことも多かった。AFPは今でも用いるけれど、がんの早期発見のためではなく、がんの経過をみるときに使うことがほとんどだ。

その後、決定的な変化がおとずれる。超音波検査の登場だ。近年は妊婦健診で赤ちゃんの手足や顔を見るときに使う、あの小さな装置が、肝臓のがんを見つけるのにかなり有利だということがわかった。

それまでは血管造影とよばれるレントゲン系の検査が主流で、登場して間もないCTやMRIも用いられつつあったが、とにかく大がかりで、気軽に行える検査ではなかった。その点超音波はとても気楽な検査だ。患者への負担もほとんどない(お腹を出して横になるだけだ)。

こうして、1970年代の後半から1980年代にかけて、肝臓のがんを「なるべく早くみつけて、早く治療する」というモチベーションが巻き起こった。



このころ日本では、千葉や久留米の大学から、「肝臓に針を刺して細胞をとる装置」が相次いで開発・改良された。超音波で肝臓を検査し、あやしいカゲが映っていたら、病気っぽいところを注射針のようなもので刺して、細胞をとってくる。それを病理医が見てがんの診断を付けてから手術で病気をとる。

流れるようなシステムによって、2 cmに満たないがんが次々と発見された。それまでの時代に見つかる肝臓がんの多くは5 cmを越えており、ときに10 cm以上で、見つかったときにはもう破裂してしまっているなんてこともあったから、非常に大きな進歩だ。

この時代、病理医は次々と肝臓がんを検査した。多くの知見があつまり、専門的な研究会がいっぱい開催された。

がんだけでなく、たくさんの肝臓の病気が同時に調べられた。

超音波、CT、MRIにどんなふうにカゲが映っていたら、細胞はどんな感じなのかという、「照らしあわせ」が猛烈な勢いで進んでいったのだ。


そして医療の進歩はさらに、思いも寄らない方向に進む。

画像診断のキレ味が上がりすぎて、特にMRIを用いると、「事前に細胞を採取しなくても、それががんかがんでないかがほぼわかる」というすさまじい精度が達成された。そうなるともう、肝臓に針を刺して細胞をとってくる必要がないのだ。もちろんすべての病気で細胞の検査を省略できるわけではないので、ここぞというときには病理医も細胞をがんばって見るのだけれど、肝臓の針生検の件数は激減し、その結果、「肝臓の病気が得意な病理医」の数も少しずつ減り始めた。

そして……今ではなんと、画像だけでがんと診断したあとに、手術をせずに病気の部分だけを焼いて直してしまう、「ラジオ波焼灼療法(RFA)」という治療が存在する。使い所がある程度限られているので、ぜんぶの病気を焼いて倒せるわけではないのだけれど、一部の典型的な肝臓がんなどは、


・MRIで確定診断 → RFAで焼いて治す


という流れでコントロールできるようになった。すばらしいことだ。

そして、がん手術の件数が減るので、いよいよ病理医は肝臓の病気をみる機会が減る。


令和の「肝臓病理診断」は非常に高度である。特殊ながん、教科書にはあまり書いていないタイプのがんを見ることがけっこう多い。50年前にいっぱいあった、「普通の肝臓がん」は、検査もせず、手術もせずに治してしまうことが増え、「診断が難しい肝臓がん」の比率が相対的に高まっている。

そして、細胞をみることなく診断と治療を進めていくことで、「細胞のことをよく知らない主治医」が増えた。肝臓がんを観察した超音波の白黒画像が、なぜ特定のパターンを呈するのか、説明できないドクターが増えている。余計なことを覚えずに、PythonやAIの勉強をしたほうが将来の役に立つのだから、それはそれで、効率がよくてすばらしいことではある。


そしてぼくはときどき昔の論文を読む。

「細胞を見る回数が減った分、学びきれなくなった話を、先輩たちの研究を通して確認しておくため」である。

現代の肝臓病理学は中級編以上しか存在しない。初級編がない。日常的に診断をしていても難しい症例ばかりと出会う。「かつての典型例」はだんだん論文の中にしか存在しなくなる。勉強でそこんところを補う必要がある。医学が進歩すると勉強が難しくなるのだ。これはどんなジャンルでも起こっていることである。