2023年10月24日火曜日

ひとかけらの罠

職場の近くにあるコンビニでお茶を買おうと思ったら小さな書籍スペースに呪術廻戦の新刊といっしょにワンピの106巻が大量に入荷していた。そうかそうか新発売かと思ってさほど確認もせず買った。仕事がはじまる前にさっさと読んでしまおうと思い読み進めていく。ジャンプで一度読んでるから記憶に新しいけどやっぱ単行本で読むと違うなあ。まとめて読んだほうが頭に入ってくるなあ。すいすい読み進めていく。読者からのお便りに尾田栄一郎が答える「SBS」というコーナーがあるのだがその内容もなぜか読んだ記憶がある。マルコが「よい」って答えるところ、あきらかに読んだ記憶がある。ウッ。まさか。これは。新刊ではないのでは。そして家にすでに買ってあるのでは。おそるおそる奥付を確認する。「2023年7月」の発行と書いてある。新刊じゃないやんけ! なんでいまさらコンビニに山のように入荷するんだよ! 悲しい罠であった。罠ピースである。


新しく購入したPC。以前よりもひとまわり小さいものを主力とする。ただし外付けモニタを購入してデュアルモニタシステムにしたから小さくても大丈夫だ! よぉしこれからバリバリはたらくぞ! と思ったらモニタを釣り上げるアームがうまくデスクに固定できない。ぼくの使っているデスクはかなり古いもので、側方ぎりぎりまで引きだしの壁が迫っており、万力を固定する天板として使える場所が少ないのだ。デスクの手前側にうまく固定することができず、しかたなくデスクの奥側にアームを固定すると、ノートPCとデュアルモニタの位置が微妙に離れて使いづらくなってしまった。まったく使えないわけではないので当分このまま運用していくのだけれどままならないものだ。結局、ただPCの画面がひとまわり小さくなった状態で普通に使っている。罠PCである。


外付けのキーボードを使って画面から目を離して入力するので、今こうして書いている文章もまめつぶのように小さく見える。まめつぶ。豆粒。豆ひとつひとつをまじまじ見ることは滅多にないがニュアンスとして伝わってしまう「まめつぶのような」というフレーズに、条件反射で選ばれていく語彙の安直さを思う。ところで「滅多に」というのもすごい漢字を使うものだ。思考がどんどんわき道にそれていく。わき道? 違うかもしれない。わき道というといかにも主たる道があるかのようだが、どちらかというと今の脳は広場の真ん中で方角を見失って呆然としている感じに近い。そういえば今朝、車を運転していて、交差点で信号を待っていたとき、自分の思考が一瞬完全にばらけている時間があったことに気づいた。隣に人がいたら、きっと、「どうしたの? ぼーっとして」と言われるようなやつだ。「いや、なにも考えてなかった。」などと答えると、「なにも考えてないってことはないでしょう。なにか心配ごとでもあるの?」とたずねられるようなやつだ。そんなたずねられかたをしたことは一度もないが。『宙に参る』でいうところの判断摩擦限界のような状態なのではないかと思った。中高年がたまに、なにをするでもなく窓の外などを見ながら陶然とした顔をしていることがある。あれはたぶん脳内で長年にわたって蓄積して増えすぎた情報をうまく処理できずにハングアップしている状態なのだろうと思っていた。まだ先のことだと思っていた。今のぼくはたまにそういう状態になる。どこにもピントをあわさずぼうっとしていると、なんとなくのどかな見た目になってしまう。争いには向かないスタイルだから悪いことではない、と言えるかもしれないが、さすがに運転中そうなるのはあぶないので気を付けなければならない。罠ピースである。