2023年10月19日木曜日

病理の話(828) 研修医の発表の予行演習を聞きながら思ったこと

大学を出て、医師免許をとって、すぐに医者になれるかというと、最近はそうでもない。「研修医」というシステムがある。まあ法律上は医者なんだけど(医師免許があればね)、病院の仕組みや医療のノウハウをつかむのにだいたい2年はかかるでしょ、ということで、最初の2年は「初期研修医」として勤務する。

この間、研修医だけで患者をどうこうするということは原則的にない。研修医の横に、あるいは壁をへだてた隣に、必ず「指導医」が控えており、耳をそばだてていたり、カルテをチェックしたりしている。だから患者さんも安心してください。「俺を診るのが研修医ってどういうことだ! ドン!」と机を叩く必要はありません。必ず上級の医者が指導してますからね。



さて。

研修医はいろいろな勉強をする。患者と話して情報を集める方法。血液検査のデータの解釈。CTやMRIの見かた。キズを縫ったり血管にカテーテルを入れたり尿道にバルーンを入れたりする手技。外科手術のサポート。麻酔の勉強。点滴の選び方。薬の処方について。カルテの書き方、ほかの病院の医者に手紙を書くときのコツなんてのも教わる。

そして、「学会発表」、「論文執筆」、すなわち研究の仕方についても学ぶ。

医者を続けていく上ではとても大事なことだ。患者とたくさん触れあって共感しながら薬を出して喜ばれればいい医者になるなんてことはあり得ない。「それで医者が勤まるんだったらどれだけラクな仕事だったろう」と、はっきり言う。もっともっと勉強しないと、病院の中にわざわざ医者という職種を置いている意味がない。コミュニケーションができる人はほかにもいっぱいいるのだ。「勉強」をするのが医者の大事な仕事なのだ。

診療の中で見つけた小さな疑問、あるいは小さな発見を、その場だけで終わりにせず、きちんと考えて他の人と共有して、医学の進歩にちょっとだけ寄与しつつ、自分の診療のレベルもちょっとだけ上げる。それが研究である。



学会で発表するとき、ぼくらは「パワーポイント」などを用いて紙芝居的なプレゼンを作成する。一例をあげると、こんなかんじだ。

患者がどうやって病院にやってきたか、何を困っているのか、これまでにかかった病気があるか、家族構成は、生活スタイルは、海外旅行に行ったことはあるか、今ほかの理由で病院にかかっているか、薬は何を飲んでいるか。

そういったデータをきちんとまとめて、わかりやすく提示する。

でもこれだけではないぞ。血液検査のデータだって羅列する。CTやMRIなどの画像もダウンロードして(個人情報山盛りだから許可がいるぞ!)パワポに貼り付けるし、超音波や内視鏡の場合は写真ではなく動画を用いることだってある。

そうやって揃えたデータをまとめて「考察」をする。自分はこのように考えた、ただしこれまでの常識と比べるとちょっと疑問に思うところがある、だからこういう追加の検討をして、紆余曲折を経て、最終的にこんな珍しい結果にたどりついた、といった風に、ストーリーとして語るのである。治療の結果がうまくいったかどうかもあけすけに話す。

医者は自分の体験した「患者との二人三脚」を、自分の心の中だけで留めておいてはだめなのだ。いや、個人の尊厳にかかわる部分は、守秘義務として誰にも話しませんよ、そうではなくて、患者の困り事の根っこにある「医学」の部分だけを取り出してきて、ほかの医者と共有するのである。

そうすることで、ほかの医者から、さまざまな意見が飛んでくる。そこはこう考えた方がよかったのでは? そこで別の薬を使ったらどうなったろうか? もっと早くこの病気に気づくことができなかったか? 現場でも悩んだ話をあらためて他の医者から指摘される。けっこう緊張する。自分はもっとよくやれたのではないかという後悔をすることもある。

でも、それ以上に、「医療の現場にはこれぞという正解がないこともある」ということがわかったりする。誰もが頭を悩ませるような難しいケースをみんなで考え抜くことで、お互いの知力が少しだけ高まる。そして、患者のためにフィードバックされる。

ね、研究って、とても大事だ。



さて、研修医は「学会発表」や「論文執筆」を、研修期間のうちになるべく経験したほうがいい。

ただ、経験の少ない研修医が、いきなりぶっつけ本番で、学会でしゃべるというのはいかにもしんどい。

そこで、勤める病院で予行演習をする。

うちの病院の場合、研修医が発表の予行演習をするときには、科に関係なく、さまざまな医者が集まってくる。神経内科医、循環器内科医、リウマチ・膠原病内科医、化学療法内科医、血液内科医、消化器内科医、呼吸器内科医、外科医、そしてぼく(病理医)。

自分と多少専門が違っていても、研修医の発表をみるといろいろと得られるものがあっておもしろいし、研修医に対していろいろな角度からアドバイスができる。




これまで研修医の予行演習を見てきた感想をちょっとだけ。

まず、パワーポイントのスライド(紙芝居)のデザインは、ぼくら中年より上手だ。PCを使い慣れてるなーというかんじ。

ただ、紙芝居の中に出てくる言葉の使い方が、まだ医者じゃなかったりする。そこは直す必要がある。でも些細な問題だ。みんな優秀だからすぐに覚えてくれる。

考察をすすめていく「思考の回路」はまだまだ発展途上である。それはそうだ。医者は一生勉強。経験を積めば積むほど、より広く深い思考ができる。知識の量も大事だが、思索を走らせた本数も大事だなと感じる。才能よりも努力が必要だし、できれば後天的に才能まで伸ばすことができたらもっといい。

そして、しゃべり方。

しゃべり方!

しゃべり方……!!

これが! ほぼ例外なく! 未熟!

一番訓練したほうがいいのはしゃべり方だ。これはいつも思う。

思考の訓練はぶっちゃけ医者は得意だ。なんとでもなる(ならない人もいるけどそういう人はそもそも学会発表や論文執筆などの研究をぜんぜんしてないし、きちんと指導も受けていないのだと思う)。

ただしゃべり方……こればかりは、かなり意識して訓練しないと、医者だというだけではうまくならないと思う。あきらかにみんなヘタなのだ。

アナウンサー的に、上手に発音できる研修医はいる。

YouTuber的に、魅力ある滑舌を披露する研修医もいる。

でもそういうことではない。

発音や声色の良さが大事なわけではないのだ。「医者としての語り方」が足りないのだ。まだまだぜんぜん、がんばってもらわないとなあ、と感じる。

当院の研修医に限った話ではない。全国どの学会に出ても、若い医者のしゃべり方は総じて「まだまだ」。ここが一番経験の差が出るように思う。

まあ歳を取ってもいまいちな人もいっぱいいるけど。プレゼンについてまじめに考えて訓練していないと、いくつになってもしゃべり方はうまくならない。



念のため書いておくと、学会発表の際には、まず思考を鋭く整えることが大前提だ。アホが上手にしゃべってもだめである。ただ、その上で、どれだけ美しい臨床医学を構築したとしても、しゃべり方がいまいちだと、うーん、「伝わらなくて惜しい」とかではなくて、もっと根本的に、「あっ、だめだな」と感じる。

極論すると、しゃべり方は思考の鋭さと表裏一体だ。「よく考えているなあ」と思ってもしゃべらせてみたらいまいち、というのは、申し訳ないが、「まだ考えが足りない」のだと思う。




ではどうやってしゃべり方を訓練するか?

研修医を見ていると、途中でしゃべり方があきらかにうまくなる人と、そんなに伸びない人とがいる。

その差はどこにあるだろう?



どうも、「しゃべった経験」も大事だが、「人のプレゼンをたくさん聞いた人」の伸びが一番いいように思う。これはぼく個人の感想だが、わりと誰に言っても納得してくれる。

「しゃべった回数」ではなくて、「しゃべった回数+聞いた回数^n(nは経験年数)」くらいの数値がたぶんしゃべりのうまさを表しているのではなかろうか。

たくさん受信して、よく吟味して、自分を振り返って発信のやり方を磨く、というのが一番よいのだろう。

そういえば、剣道の世界には昔から「見取り稽古」という言葉がある。見て取るのは大事なんだよなあ。