胃カメラとか大腸カメラで、内臓の「粘膜」だけを切り取ってくる手術というのがある。イメージとしては、ピーマンのタネだけをスプーンでけずりとるかんじだ。ピーマン自体に穴は開けずに、中のいらないものを取り出す。英語の略称で恐縮だが、ESD(endoscopic submucosal dissection)とかEMR(endoscopic mucosal resection)などという名前がついている。なんでいきなり英語にすんだよ! と怒る人もいるだろう。でも粘膜下層剥離術って書くよりESDのほうが早くてラクじゃん……。
けずりとってきた粘膜は、小さいものだとUSBフラッシュメモリの端子部分くらい、大きいものだとマウスとか外付けテンキーパッドくらいの大きさになる。なぜPC周辺機器でたとえたのかは、この記事の執筆環境による。
テンキーパッド大の検体の表面には、凹凸がある。主治医は、この粘膜の厚みや模様などをハイビジョンのカメラ(むかしファイバースコープと呼ばれていたが今は単にカメラと呼ぶ)で拡大・縮小しながら巧みに観察し、盛り上がっているのはきっと中にコレコレの細胞が詰まっているからだろうとか、へこんでいるのは病気が下に潜り込もうとしているのだろうといったように、あれこれ考える。
すごく簡単に言うと、カタチの変化をとらえて病気を見抜き、そこをくり抜いてくる、という手順である。
そうやって取られてきた検体は、ホルマリン固定された後に、病理医の手にわたる。
病理医はホルマリン検体を見て、顕微鏡標本を作製し、内部に何が起こっているかを見極める。
このとき、たまにあるのが、「主治医が胃カメラや大腸カメラで見たときほど、粘膜の凹凸がはげしくない」という現象だ。
はっきり盛り上がっていたはずの病変が、実際に取ってくると「そうでもない」というのは、悩ましい。ホットペッパーや食べログで見たときにはいいお店だったのに、実際に入ってみるとなんかしょぼかった、みたいな感じ。いや、もっと悪い。なにせ取ってきたのは患者の病気なのだから。
「話が違う」は一大事である。
フラッシュメモリ端子大の粘膜片を見て、「なんか思ったほど派手な病変じゃないね」と心配になり、ほんとうにここに病気があるのかな? と悩みながら、顕微鏡をみる。
するとそこにちゃんと病気がある。
まずはホッとする。主治医の見立て通り、病気がきちんと取れていたからだ。よかったなー。
しかし、次の瞬間、「じゃあなんで見た目が変わったんだ?」ということが気にかかる。
この現象に対して、現代の病理組織学はある程度の答えを用意している。
一番有名なのが、「体の中にあるときと、切り取って体外に出してホルマリンに漬けたあととでは、検体の水分量が違う」というものだ。
人体のあらゆる組織は血流によって酸素と栄養を受け取っている。このとき、酸素や栄養だけではなく、同時に「水分」をも調整されている。血管内の液体は、そのつど細胞の間に流れ出したり、逆に回収されたりして、うまいこと循環して体を潤す。
この循環のはたらきは、手術で切り取られてしまえば当然ストップする。おまけに、検体をホルマリンに漬けると、検体から水分が抜けて代わりにホルマリンが浸透する。
するとどうなる? 端的に言うと「むくみ」がとれるのだ。
だからお腹の中のものを外に取り出すとカタチが変わることがある。
粘膜がゴツゴツと盛り上がったりべこんと不整にへこんだりした場所には「がん細胞」があるはずだ、という内視鏡診断学はシンプルでわかりやすい。しかし、実際に粘膜を盛り上げたりへこませたりしているのは、がん細胞などの病的細胞「だけではなく」、間質の水分量だったり、まわりにある正常の細胞の変化によるものだったりする。
究極的なことを言えば、がんがなくても、「炎症」があると水気は増える。蚊に刺されるとその場所が腫れたりむくんだりするだろう。そう考えると、単に粘膜が盛り上がっているとかへこんでいるというだけで、がんだろうと疑うのは「やりすぎ」だということがわかる。
主治医が、「あれーここに確かに病気があると思って取ってみたんですけど、ホルマリンにつけてみると、あんまりはっきりしないすねー……」と心配そうな顔をしているとき、組織から水分が抜けて見え方が変わったのだということ、そして、水気がない状態でなお「がんがありそうな所見」をいかに指摘するかということを、顕微鏡を見ながら解説する。
すると主治医は、「なるほどなー、じゃあ普段おれたちが見ているあの腫れは、がんじゃなくて水分によるものかもしれないわけか……」などと、自分の商売道具と見慣れた風景に対して、マニアックな思索を深めていくことになる。