2017年10月17日火曜日

一瞬だけど閃光のように

中学生くらいのときにサインの練習をしたっけなあ。

あのとき考えたサインのいくつかは、今もおぼえている。

子供の考えるサインなんてものは、自分がスポーツとか芸能とかで有名になったときに、色紙にかっこよく、見栄え良く書くためのデザインだ。

だから、とにかくめちゃくちゃに書きづらい。無駄に凝っている。

シャッと縦棒書いておいて、そこから横にシュッシャッと飛び出て、ここがくるんとしてこっちとつながって……。

そういうのを考えるのが楽しかった。




ぼくはスポーツ選手にも芸能人にもならなかったけれど、幸いというか不幸にしてというか、今、毎日サインを書く生活をしている。

病理診断報告書にデジタル署名をしたあと、印刷した報告書にボールペンでさらにサインをつける。

狭いスペースにすばやく名前を書くことを数百、数千と繰り返すうち(計算したら、今の病院に来てから50000回くらい名前を書いているはずだ)、もともと「市原」と書いていたものがだんだんと省略され、「機能によって淘汰されてできあがったデザイン」。

まったくかっこよくない。スタイリッシュさがない。

けれど、中学生のときに書いていたサインよりも、はるかにサインっぽく仕上がってしまった。



当院の病理診断報告書はそろそろ完全にペーパーレスに移行するので、サインを書く機会も激減する。出張先や当院の関連病院の診断書を書くときくらいしか、サインをしなくなる。

そしたら、今のサインを捨てて、もう少しかわいいかんじの、サインの中にうさぎが浮かび上がってくるようなデザインのやつを新たに作り直してもいいかもしれない、と思う一方……。

中学生のころのように、サインを考えるだけで1日がぱあっと明るく楽しくなるような感情は戻ってこないだろうなあと、わかっている。知っている。



書店に置くポップを書きながら、そんなことをずっと考えている。

2017年10月16日月曜日

病理の話(131)

手術で採ってきた臓器を目でみて、病気(たとえばがん)のあるところを切り、切り口の写真をとる。

病気はどのようなカタチをしているか。

色調をみることで、血液が多く流れ込んでいたかどうか(燃費がわるいヤツかどうか)、硬く瘢痕のようになっていないかどうかがわかる。CTやMRIの画像を頭に思い浮かべる。

輪郭をみることで、この病気が周りにしみ込んでいるか、それとも周りを押し広げているかがわかる。がんであれば周りをぶちこわしながらしみ込んでいくだろう。顕微鏡を見なくても、けっこうわかるものなのだ。

病気の切り口を、ナイフの背の部分で少しなでてやる。

ナイフの背に、黄色くぼそぼそとした、しめった耳垢のようなカスが付着するとき、そこには「もろくてぼろぼろとした組織」があることがわかる。こういうのは「壊死(えし)」である。

壊死というのは細胞が死んだ部分だ。

がんは、自分があまりに急激に増えて大きくなるものだから、うっかり周りから栄養をとるスピードが追いつかないことがある。だから、病気のへりの部分ではすごく元気にまわりにしみ込むけれど、病気のど真ん中では「餓死」してしまっている場合がある。そういう壊死成分がどれくらい含まれているか、切り口を見て、ナイフの背でなでることで、ある程度わかる。

十分に観察を終え……。

顕微鏡標本を作る場所を決める。すべてをプレパラートにしていたらきりがない。診断に必要な部分をじっくり見極めて。


そして、病気を顕微鏡でさぐりにいく……。




トゥルルルル。

(ガチャ)「はい病理市原です」

「あっ、先生おつかれさまです。今いいですか?」

「はいどうぞ」

「ID言いますね。○○○○○○……」

「○○○○○○……XX XXさん。はい、この方ぼくが診断しましたねえ」

「ええ、その方です。病気の診断たいへんよくわかりました。どうもありがとうございます。それでですね、実はちょっと追加で、『背景』について検索していただきたいんですが……」





背景。

たとえば胃。たとえば肝臓。これらは、がんをはじめとする病気が出る際に、「がんではない部分」にも変化がある。

周りの、がんではない胃粘膜や肝細胞にも、なにがしかの異常が起こっていることがある。

あたかも、「らんぼうな校風の高校を中退して、不良になった」みたいに。

がんをとりまく「環境」を観察することで、がんが出てきた「原因」のようなものが見えてくることがある。

だから、医療者はときどき、「背景」を気にする。



この背景の評価が実に難しいのだ……。



「がん」というのは、医療者にとって、無意識のうちに「本気で取り組まねば」と気を引き締めるものである。

がん以外の病気をなめているというわけではないのだが。病気に貴賤はないのだけれど。

やはり、臓器に「がん」があるとき、医療者はそこにぐっと着目してしまう。

なんとか見定めよう、やっつけてやろうと、やっきになる。必死になる。

無意識のうちに、「背景」の観察はおざなりになる。



だから、「意識して」、背景を観察しないといけない。がんじゃないからどうでもいいや、ではなく、「がんに関係のある情報が少しでも得られないだろうか!」と、かなり気を強くもちながら、入念な観察をしなければいけない。





……なんだか当たり前のことを言っているように聞こえるだろう。

ぼくだって当たり前だと思っている。

けれど。

こないだ、ある病気の「背景」について、ある発見をした人がいた。

その発見を人づてに聞いて、ぼくは「うわああああ」と思ってしまった。

この病気、とてもよく知っている。何度も診断している。なんなら、ほかの病理医よりも、ぼくは少し詳しいかも知れない(専門のひとつとしている領域である)。

けれど、こんな「背景」、考えてもみなかった。

がんとは離れた部分に、こんな変化が出ているなんて。




盲点、とか、落とし穴、という言葉がよぎる。

人間は無意識のうちに、見たいところを選別し、見づらい領域を作ってしまっているのかもしれない。

意識して、穴をふさごうとしないと。

声出し確認をするように、細かい観察をこころがけないと。



病気とその背景を解析するという作業は前に進んでいかないのだ。ああぁー。自分で気づきたかったなあ。これ……。

2017年10月13日金曜日

からだすこやかじゃ にぶる~

「トクホのマークがついたお茶」をコンビニで売っている。

ふつうのペットボトルに比べると高い。

けっこう高い。

脂肪を代謝する力を高めてどうとか言ってる。

効きやしねぇよ、と思うけど、ま、こういうのって、気休めに「のっかった」ほうがけっきょく効くもんだよなあ、とか思って、しばらくスルーしていた。




最近、朝にペットボトルのお茶を買って職場にもちこんで、仕事中にちびちび飲みながら働いているのだが、くるくるあちこちで働いているうちにペットボトルの前を離れてしまい、結局帰宅するまでぜんぶ飲みきれない、ということが続いた。

もったいないので冷蔵庫にひやしておく。

翌朝、冷蔵庫から取り出すのを忘れる。

職場につくころに気づく。

あっお茶……。

しょうがないから買い直す。

がんばってはたらく。

今日も忙しかった。全部飲みきれなかった。

帰宅して、1/4くらい残ったお茶を冷蔵庫にしまう。




……昨日、冷蔵庫をあけたら、ちょびっとずつ中身の入ったお茶のペットボトルが4本あった。

ジャスミンジャスミンウーロン麦。

やめてくれ、と思った。

そこでピンときた。

「あのトクホのお茶……。あれ、量は少ないけど、もしかして、今のおれには、ちょうどいい量なんじゃねぇのかな?」




ためしに高いやつを買ってみた。ヘルシーになりそうな名前のやつを。

仕事が終わるころ、ちょうど飲み終わった。やったあ!

ほくほく顔で、スタッフのひとりに話してみた。このお茶ね、ちょっと高いし、量も少ないけど、この量がぼくにぴったりなんですよぉ。

スタッフは言った。

「先生、元気ですね……いろんな意味で……」





そうだろうそうだろう。

ニュアンスを超えたところに健康はあるんだぞ。

2017年10月12日木曜日

病理の話(130)

細胞の良悪(命に関わるか、そうでないか)を判断するとき、しばしば参照されるのが「細胞核の大きさ」である。

大きさ。

大きいか小さいか。

細胞核が普通よりも大きければ悪性の可能性が高い。

あるいは、ごつごつ感。

細胞核が普通よりもごつごつしていれば、がんっぽい。

実にあいまいな尺度ではないか! そんな、人によって判断が変わるような基準で、がんかがんではないか、人間の一生に関わる問題を診断するなんて。なんて主観的なんだ! 病理診断は病理医の胸先三寸で行われているッ!



みたいな話を(主にネットで)目にすることがあるんだけど、ま、心配しなくても、これに関してはそうそう問題になるケースは多くない。


実は、核の大きさとかごつごつ感とか、クロマチンの量とか核膜の不整さとか、核小体が目立つかどうか、といった尺度は、思ったよりも「アナログ」ではない。

核の大きさが「小」「中」「大」として。

「小」と「大」が多いのだ。「中」が少ない。

ごつごつ感の強さが「弱」「中」「強」として。

「弱」と「強」が多いのだ。「中」が少ない。



何を言いたいのかというと、どんな病気の病理診断においても、「あきらかな異常」がどこかにみられることが多く、「中間的で、迷う」ような所見は意外と少ないのである。



これにはおそらく理由がある。

核が大きくなり、形もごつごつになるというのは、核の中に含まれているクロマチン≒DNAの量が異常に多くなり、容れ物の中におさまりきらなくなるためだ。いわゆる増殖異常のサインである。

この「DNAの増殖異常」には、基本的に、はどめがかからない。

正常の細胞では「制御がはっきりしている」から、核の大きさは小型で均一に留まっている。

しかし、がん細胞では「制御がきかない」のだ。やたらめったらとDNAが複製されまくる。

「ほどよく1.5倍くらい増やそう」とか、「まあせいぜい2倍にしておこう」みたいな遠慮は、がんにはない。

「とにかく無制限でゴー!」となっているのが、がんだ。



「弱」「中」「強」のカテゴリーにわけるとするならば、「中」で留まっているケースは意外と少ない。異常があるならひたすら「強」として出てくる。



だからこそ、人間がプレパラートで見てもはっきりわかるくらいに、細胞のカタチとして異常を見つけることができるのだ。



毎日細胞を見ていれば、9割5分くらいの細胞は、秒単位で「いいか悪いか」を判断することができる。もちろん、残りの5分では十分に迷わなければいけない。

毎日細胞を見ていれば、「弱」と「強」の区別はなんなくつくようになる。5分の「中」ではもちろん迷うが。



……「毎日細胞を見ていれば」。

毎日細胞を見ていないとどうなるか。

弱と強の区別がつかないのである。だから、ま、素人から見ると、病理診断というのはとても主観的に見えてしまう。

まあもう主観的ってことでいいけど。

けど主観にも根拠があるよってことは知っといてほしいナって思う。





今の「ナ」が気持ち悪いと思った人、それを主観というのです。

2017年10月11日水曜日

この事ばかり気にかかる

「猫たちの色メガネ」を読んでいた。

ぼくはすぐ、読んだ本を何かにリンクさせたがる悪いクセがある。この本を読んで考えたことはアレに使えるなあ。この本みたいな風景を前にも何かの本で読んだぞ。ああ感動した、この感動はあれと同種の感情だ。これと同じジャンルの本はほかにあの人とあの人が書いていたなあ……。

「猫たちの色メガネ」を読みながら、ああ、そういう読み方ばっかりするようになったぼく、つまんねぇ男だなあ、と思ってしまった。



なんでもそうだ。一日の中で経験したことすべてに意味を求めている。

ツイッターでひとつリプライが来たなら、その経験をどこかに書き留めて、いつか別の話題でうまいこと放出しようと考えている。

日常でした何気ない会話のひとつをいつまでも大切にとっておいて、いつかブログの記事にしたらうまいこと書けちゃうんじゃないかと虎視眈々と狙っている。

なんだかつまんねぇなあ、と思ってしまった。



そこに起こった出来事に、意味はある。理由があり背景がある。積み重なった無数の選択がある。人の意志でどうにもならない、自分で選んでいるようで実は全く選択肢がない、選ばされている選択もある。

そして、ああ、なんかそういうことがただ、起こったのだなあ、と、写真1枚を撮って先に進むようなやりかたも、できるのだと思う。



インスタ慣れした世間はみなそうやって、あらゆる出来事に意味づけすることをもはやあきらめているようにも思う。

ぼくも、全ての出来事に理由を問いかけるのをやめてみたほうが、いいのではないか。




「猫たちの色メガネ」の本文中、「こ」だけは違うフォントが用いられている。

なぜだ? と問わないで、そういう本なんだなあ、と。

……生まれ変わらないと無理だな、問わずにいること。




あらゆる物事に何かをリンクさせたがるぼくは、「こ」に気づいた日の夜、ほとんど眠れずにずっと「こ」のことを考えていた。何かうまいこと書けないだろうか、と、考えながら。

2017年10月10日火曜日

病理の話(129)

見たことも無い細胞を目にする。

なんだこれは。

ふくれあがった核は輪郭がでこぼこで、核膜の厚さも一定せず、大量のクロマチンによってどす黒く染まっている。ひとつの細胞の中に複数の核があることも。悪性であることはまちがいない。いずれ人を殺す細胞である。

しかし、どんな腫瘍であるかが判然としない。

特定の方向への「分化」があるようで、ない。普通の腺癌ではない。普通の扁平上皮癌でもない。

……。これは、わからない。

わからないけれど、臨床医はもっとわからない。

患者はもっともっとわからない。

これは病理の仕事なのだ。




背景の血管が不思議に動かされている。

細胞のカタマリの中に、壊死がみられる。

細胞の配列に特徴があるか……?

免疫染色を多数行う。どれかひとつふたつ、タンパク質の発現によって、この奇妙な腫瘍の「正体」が見つからないだろうか。

特殊染色も行う。グリコーゲンの分布は。粘液の微小な産生がないか。細網線維の増加パターンは。




どうしてもわからない。

教科書をひっぱりだす。Enzinger, Ackerman, Sternberg, AFIP atlas, 外科病理学, 腫瘍鑑別診断アトラス……。

すべてのページをめくる。

数千枚の写真を、ザッピングするように目の端に映していく……。





あった。あった。これだ。

たぶんこれだ。

本文を読む。10数項目の組織所見。一致。一致。これは一致しない。一致。これはどっちともとれる。一致……。

染色体検査が必要かもしれない。

大学に依頼をする。メールを打つ。

さらに免疫染色を追加する。






ぼくはひとりのちっぽけな病理医で、所詮、病のすべてをわかるわけもない。

知らない病気だってある。

見たことのない腫瘍も出てくる。




ぼくは最高の病理医ではないかもしれない。ぼくは病に勝てないかもしれない。

けれど、医学の歴史と集合知は負けんぞ……。





ゴリの顔を思い浮かべながら診断に潜る。臨床医が笑っている。患者の笑顔まで引きずり出せばようやく勝利である。

2017年10月6日金曜日

ヒューマンといえばファイプロ

医療系のドラマとか小説の惹句に「ヒューマンドラマ!」と書いてあるとその時点でもうなんかすごくあーあって思ってしまう(けど読むけど)。

ヒューマンドラマって何だよって思うからだ。

ヒューマンじゃないドラマを考えるのは難しい。

動物奇想天外みたいに、動物を主役にしたらアニマルドラマか? 結局、アニマルたちにヒト語をしゃべらせて、擬人化した感情をアフレコして、あるいはその動物と関わる人たち、飼育員とか飼い主とかの言葉を拾い挙げるわけだし。

人工知能が主役のスペースオペラか? R2-D2だってあれもうほとんどヒトだから。しゃべり方がカタコトなだけだから。

初音ミクは「ぼく」を歌うし。

ヒューマニティを除外したドラマなんてないのだ。

いや、まあ、言葉遊びの揚げ足取りって言われるかもしれないけれど……。

ヒューマンドラマ、とうたわれた時点で、「ほっこり」「じわり」「しみじみ」、あるいは「ドロドロ」「ジタバタ」「グチャグチャ」、ひらがな系かカタカナ系かはともかく、なーんかもういいかなって気分になってしまうのだから、しょうがない。





一度原稿仕事でお世話になった編集者から、「医療をめぐる現状と対比しながら、医療にまつわるブックガイドをお願いします」という依頼が来た。

医療を題材にした本とかドラマ、あまり読んでいない。

ノンフィクションの方が読んでいるかもしれない。

ぱっとは思い付かなかった。マンガが数冊浮かんだ。

小説かあ……。昔読んだ小説で、何か、ひとにおすすめできそうな本があったかなあ。

思い出すきっかけが欲しくて、医療系のキーワードをいくつかGoogleにぶちこんでみた。

出てきたことばは「医療ミステリー」だとか「医療サスペンス」。まあそうだろうな、ありとあらゆるジャンルが、ミステリーとかサスペンスになりうる。

さらに、「ヒューマンドラマ」、「問題作」、「意欲作」。

うーん。医療である必要がないな。




悩んだ末にいくつかの本をピックアップした。これをおすすめしたら、某誌の読者は興味をもってこの本を読んでくれるだろうか、ということを気にかけながら、再読に入る。

読みながら、ああ、ぼくはどうも、「フィクションから得た感性を用いて、現実で起きている医療を語る」ということを頻繁にやっているなあ、ということに気づいた。

さらに。

ぼくが医療を語る上で根幹としている創作物のほとんどが、「必ずしも医療現場を題材にしていない」。

少し驚いた。

ときにはSF。ときには歴史小説。工学系であったり、青春小説であったり、ありとあらゆるジャンルの本から少しずつわきあがってきたインプレッションが、医療に対する目を開かせている。



結局、現実の医療も、虚構の叙事詩も、なにもかもがヒューマンドラマだからなあ。

ジャンルなんて関係なく、優れた創作物は、医療を思うときにスパイスになりうるんだ。




自分の子供にサッカーを好きになって欲しいと思った親が、キャプテン翼を読ませる。

自分の子供に東大に入って欲しいと願った親が、ドラゴン桜を読ませる。

自分の子供に医者になって欲しいと切望する親が、医療小説を読ませる。

いまどきそんな短絡的な教育もないだろうが……。ぼくは心のどこかに、「ジャンル系」を読めばそのジャンルについての思索が深まるだろう、という、根拠のない思い込みを持っていた。




なんかあれだな、医療を考えるために本を読む、ってのつまらないな。

わかんないけど本を読んでたら、医療についても思いがふくらんだ、くらいでいいんじゃないかな……。




……それじゃ原稿にならないかな?

いや、うん、原稿にしよう。ぶつぶつ、キョロキョロして、じっくり、ガッと書く。