2023年11月17日金曜日

病理の話(838) 診断困難例

患者から取ってきた細胞を顕微鏡を使って診断するのが、我々病理医の仕事だ。「細胞を一目見ればピタリと当てる」というのが理想型である。しかし現実にはそう簡単ではない。病理医が頭を悩ませるパターンには以下のようなものがある。



1.命にかかわるがん? それとも命に別状のない良性の病気?

ふつうのがん細胞は、正常の細胞と見た目が異なる。細胞核がでかい。でかくて不規則にゴツゴツしている。核の中に入っている染色体の量が多くて色が濃い。細胞ひとつに着目するだけでもこれくらいの、あるいはもっとたくさんの違いがある。ただし、これらの「核の変化」は、じつはがんではない細胞でも生じる。

たとえば炎症があって、細胞の周りの環境がぼろぼろになっていると、細胞がダメージを受ける過程で、もしくはやられた細胞が再生する過程で、がんのような見た目を呈することがある。病理医が「この細胞はがんですね」と言えば主治医はその言葉を信じるので、手術や抗がん剤などの「大きな治療」が選択されるのだが、実際にはがんはなくて炎症のせいで「細胞が悪そうに見えただけ」ということも過去には起こっている。非常におそろしい誤診である。したがって我々はいつも、細胞を見て「がんだ!」と感じて診断書に書く前に、「待てよ、本当にがんか? 本当に、本当にがんか?」と念を押すように顕微鏡を見る。



2.がんなのは決まりだが、どんながんだかわからない。

細胞がいかにも「悪そう」で、これががん細胞であることは間違いない、と確信できたとして、そこで診断が終わるわけではない。次にそれがどんながんなのかを調べるのも病理医の大切な仕事だ。「どんながんか」にはいくつかの判断基準がある。どれくらいの範囲に広がっているか? どのような性質をもったがん細胞なのか? 範囲を知ることは、手術でがんを残らず切り取ったり、がんのある場所にくまなく放射線を当てたりするのに必要だ。また、がん細胞の性質(どのようなタンパク質を持ち、どのような方向に「分化」しているか)によって、どの抗がん剤が効くかが変わってくる。

範囲なんてすぐわかるだろうと思ったら大間違いだ。がんというのは「しみ込む」病気だから、しばしば思ってもいないところに潜り込んでいたりする。それを顕微鏡で見つけ出すのはけっこう大変なのだ。たとえばあなたが、自分の部屋で箱に入った「画びょう」をぶちまけてしまったとする。あわてて拾って、これで全部かなと思っても、ソファの足の裏側とかじゅうたんの毛の中とかに紛れ込んでいるなんてことがあるだろう。がん細胞もときおり、そういうタイプの進展を示す。がん細胞の数が少ない場所ではそれだけ診断も大変になる。

細胞の性質についても難しさがある。がん細胞が試験管のような構造をつくっていたら「腺癌」、シートのようにある面積を埋め尽くしていたら「扁平上皮癌」といった感じで、ぱっと見るだけでどのような性質を持っているかがすぐわかることもあるが、中には、「B細胞の性質を持っているのか、T細胞の性質を持っているのか、形の違いではまるでわからない」というケースもある。こういうときに病理医は、細胞の性質を見極めるための特殊な手法を用いる。免疫組織化学やフローサイトメトリー、染色体検査など、やり方はたくさんある。



3.がんではない病気だとわかるが、ではどういう病気なのかと言われてもわからない。

このパターンがじつはけっこう難しい。病理診断「学」(病理医の診断根拠を学問のかたちで練り上げたもの)は、別にがんばかりを診断するわけではなく、さまざまな病気における細胞の変化を見極めることができる……はず……なのだが、がん以外の病気では往々にして、「原因が何であっても結果が同じになること」があるのだ。

これはちょっと説明が必要だろう。たとえば、あなたがハリセンを持っていて私のことを波コンと叩く。すると私のあたまにこぶができる。次にあなたがハリセンではなくピコピコハンマーを持って私を叩いたとする。それでもやっぱり私のあたまにこぶができるだろう。あなたが持つものが竹刀でも、バールのようなものでも、同じ衝撃を加えればおなじようにこぶができる。病気にもこれと似た部分がある。原因(ハリセン? 竹刀?)にかかわらず、誘導される結果(炎症)がいっしょだと、炎症のようすをいくら見ても原因はおしはかれないということになる。

しかし、とはいえ、竹刀ならば四つに組んだ竹をとめている「布」の形があたまに残るだろうし、ピコピコハンマーだとマンガ的表現でたんこぶがモチのようにふくらんで表面にバッテンのばんそうこうが貼られるだろう。がん細胞ほど「これは間違いなくがんの特徴!」とは言えなくても、「なんか、あの原因と対応してるっぽいぞ……」みたいな傾向はとらえることができる。

逆にいうと、がん以外の診断は、難しいし、直裁的じゃないし、マニアックだし、奥が深くて、けっこう頼られるのだ。



4.頻度が非常に少ない病気と、よくある病気なんだけどなんかへんなやつ

この二つはどちらも迷う。「頻度が非常に少ない病気」を診断するのはすごくプレッシャーがかかる。なにせ、ほとんどの人が診断したことがないわけだから、教科書に書いてある通りの細胞パターンが見つかったとしても、「これ、ほんとうに○病なんだよな?」とかなり弱気になる。いろんな人に相談しながら、たくさんの資料を調べて、ようやく珍しい病気だと診断を付けるのだ。小説やドラマは珍しい病気を簡単に診断しすぎていると思う。

なぜ珍しい病気の診断をためらうのか? それは、「頻度が超低い病気」よりもはるかに、「頻度がめちゃくちゃ高い病気が、たまたま、まれな病気っぽい見た目であらわれたケース」のほうが経験されるからなのだ。これは例え話がむずかしいのだが……うーん、そうだな……「真のUFO」を見つけるよりも、「たまたま飛行機やアドバルーンがUFOっぽく見えること」のほうが圧倒的に多い、みたいな感じかな。ちょっと違うかな。

ちなみに内科の教科書(や國松淳和先生の書くもの)の中では、「レアな病気の典型像」vs「コモン(よくある)な病気のレアなプレゼンテーション」、と言い表したりする。病理診断の場合は、劇的にレアな病気がばんと出てくるよりも、日ごろから診断している病気がたまたま不可思議な見た目で顕微鏡の中に登場する頻度のほうが高い気がする。



ほかにも診断に迷うケースはあるのだけれど、これ以上列挙すると、どうしても「実際に自分が困った症例の話」になってしまう。今日はこのへんにしておこう。