2023年11月13日月曜日

病理の話(836) がんはがんでもどんながんか

病理医の仕事の多くは「がん」と関係がある。患者の体にカタマリらしきものが見つかったときに、そこから細胞を採取してきて、顕微鏡で見て確かにがんだと確定するというのは、病理医にしかできないエグい仕事だ。

ただし、「がんかがんじゃないか」以外にも、けっこうやることがある。この仕事は二択とか三択で答えを選ぶようなものではない。

たとえば、がんだとすでにわかっている人の「ステージング」(病期分類)。あるいは、「がんはがんでもどんながんなのか」を決める、組織型の細分類。

治療法を決める上で、「どんながん?」を探っていくことはとても重要だ。

一例をあげる。同じ肺癌といっても、ステージIとステージIIIでは手術の仕方も抗がん剤の使い方も違う。さらに、同じステージIIIの肺癌であったとしても、組織型が違うと(例:腺癌、扁平上皮癌、小細胞癌)効きのいい抗がん剤は違う。さらにさらに、同じステージIIIの肺の腺癌だったとしても、遺伝子検査の結果によって抗がん剤を細かく使い分けるのが令和5年現在のスタンダードな治療法なのである。

50年前はこうではなかった。20年前も違ったと思う。ていうかこの10年でけっこう変わった。はっきりいって昨年と比べても今年の方がさらに細かいことをやっている。

病気を「どこまで調べるか」は、基本的に時代を経ると必ず深く、細かくなる。ただし、何でもかんでも検査をしてもだめだ。「治療の効きやすさに直結する検査」だけを選び取るために、たくさんの臨床試験が組まれ、その結果が次から次へと日常の診療に反映されていく。

それらをすべて拾い上げて、細胞を見たり検査に回したりするのが病理医の役目である。「がんか、がんじゃないか」に使っている時間よりも、「どのようながんか」に費やす時間のほうが長くなることが多い。

そして、今のぼくの場合、これはある程度年を取ったからというのもあるのだけれど、実際に診断をしている時間よりも、「最新の診断をするために勉強をする時間」のほうが少しずつ長くなりつつある。キャリアを積むことで診断の速度はどんどん早くなるのだが、病気と向き合っている(調べたり考えたりしている)時間はむしろ長くなっている。

ちなみに、勉強のためにウェブや書籍を検索するのにかかる時間は、経験を重ねるとどんどん早くなる。少しずつ勉強が得意になっていくということだ。しかも最近はAIがサポートしてくれているから、昔よりもはるかに的確な情報にすばやくアクセスできる……はずなのだけれど、それでも勉強の時間は延びる一方だ。

うーむ。そういうものなのかな。そういうものなんだろうな。便利になればなるだけ、やることが増えていくのが病理医という……人間の仕事というものなのかもしれない。