2023年11月7日火曜日

病理の話(834) 天気予報くらいにね

肝細胞癌、という病気がある。肝臓にカタマリができてそれがだんだん大きくなっていく。

治療法はいくつかあるが、昔から「手術」がよく行われる。病気のカタマリをまるごと体から取り除いてしまえば治る、という発想は、きわめてシンプルでわかりやすい。

ただし、カタマリの部分だけを丁寧にくり抜けばいいかというとそうではない。どうしても、「正常の肝臓」もいっしょに切り取ってくる必要がある。

肝細胞癌に限らず、「がん」は周囲にしみこんでいく能力を持っている。ぱっと見た判断で「ここまでがカタマリだな」と思ってくり抜いても、ミクロの世界ではもう少しカタマリより遠いところまで癌細胞が達していたりするのだ。癌細胞は1個でも体の中に残っているとそこから細胞分裂をくり返して再発する。

そこで、カタマリのある部分プラスアルファを取り除くやり方をとる。「えっ、がんのサイズはこれだけなのに、こんなに肝臓取っちゃうんですか? もったいない……」。いやまあもったいないのもそうなのだが、肝臓だってはたらく臓器なのだから、あまり取りすぎるとかえって健康を害する。だからバランス感覚がむずかしい。

どれくらい正常の肝臓をいっしょに取るか。「のりしろ」部分を確保する、みたいな感覚だとラクなのだが、そういうわけにもいかない事情がある。

たとえば、カタマリの横に「水道管やガス管」のような管が通っていたとする(たとえばなしだが実際に肝臓の中にはたくさんの管が通っている」。それらをカタマリといっしょに取ってしまうと何が起こるか? カタマリより下流にある領域に、水やガスが供給できなくなるのである。すると、カタマリより下流の肝臓はへたって死んでしまう。死なないまでも、「正常の臓器」としての働きがこなせなくなって、結局、体の中に残した意味がなくなる。

したがって、カタマリを取るときには、その近くを通過している管の走行をきちんと解析して、「手術で取らざるをえない管」があるときにはその下流の領域もいっしょに取ってしまう。「区域切除」などと呼ばれる。

このへんで、ヤダーだんだん大事になるじゃない、とおびえる人も出てくる。しかし現実だ。がんのカタマリが大きくなるとそれだけ切り取らなければいけない肝臓の領域もでかくなる。「右葉切除」といって、肝臓の右側の2/3くらいをごっそり切り取ってくる手術もたまに行われる。こんなに肝臓を取ってしまって大丈夫なのだろうかと心配になるが、「残りの肝臓だけでも生きていけるかどうか」(肝予備能検査という)をかなり細かく検査してから手術に臨む。


今のは肝臓を例にあげたが、ほかの多くの臓器のがんに対しても言えることだ。肺がんの治療で肺をどれくらい切り取るかだって切実な問題だ。胃でも大腸でも同じ。

「少しでも正常なところを多く体の中に残しつつ、カタマリをきれいに取り除く絶妙のバランス」をいつも探っている。

キーとなるのは、手術前に撮影・撮像したCTやMRIなどの画像だ。

これでカタマリが正確に描写されていると、切り取る範囲も細かく設定することができる。

「この病気、ぜんっぜん周りにしみこんでないっぽいぞ!」とわかれば、カタマリぎりぎりをくり抜くような手術ができることもある。

でも、CTやMRIの解像度ではどうしても、ミクロのレベルで癌細胞が周囲にしみこんでいるかどうかはわからない。

そこで病理診断が重要となる。顕微鏡を使った検査の解像度は最強だ。ミクロはまかせてほしい!



ただし……ひとつ問題がある。

「カタマリを絶妙にきりとるために、ミクロの情報がほしい」のだけれど、病理診断が行われるのは「カタマリが切り取られた後」だ。病気の正確な範囲が先にわかれば切り取る範囲を決められるが、すでに切ってしまったものを見て、「あっ、周りにしみ込んでませんでしたね。残念だなあ、あんなに大きく取らなくてもよかったのに」なんて後から言われたって、それこそ「手遅れ」である。

この、順番のジレンマを克服するために、我々医療者たちは、長くいろいろと考えてきた。その結果、こういう結論に達している。


CTやMRIなどが「これこれこのように」見えるときは、あとで顕微鏡を見ると、がん細胞がだいたいこんな感じでまわりに散らばっている「ことが多い」。


すなわち、CTやMRIなどの画像と、病理で見るミクロの風景とをいくつもいくつも照らし合わせて、「統計」を行い、画像で得られる情報からミクロを予測するのである。病理診断というのは単独で用いると若干の手遅れ感がある。しかし、データを積み重ねると未来予測への強力なツールとなるのだ。あたかも、過去の膨大な気象データを蓄積して、数日以内の予報ならばほぼはずさなくなった天気予報のようである。


※病理診断のすべてが手遅れだということはない。たとえば抗がん剤の効き目を予測するように、「先に細胞を採って、そのようすを見てから治療の選択を行う」といった、治療に先んじて行うタイプの病理診断もあるからだ。でもまあ今日はその話ではないのだ。


病理診断をする前に、「ミクロではきっとこうなっているはず」と予測する。その予測が当たっていたかどうかを顕微鏡で確認して、精度を高めて、次の患者のためにまた用いる。そのくり返しが、現在の手術の奏功率にかなりかかわっていると言っていいだろう。

病理診断はしばしば「答え合わせ」と言われる。多くの臨床医もそのように考えているふしがある。しかし、実際にその部門を担当している病理医からみると、われわれは単独で「答え」を自認すべき部門ではない。ほかの検査データとの照合をくり返して、医療全体の最適解を調整していく部門が、「俺たちが唯一解だ!」とえらそうにしているというのは、ぼくはちょっと、違うと思う。