2023年11月15日水曜日

病理の話(837) 臓器のやわらかさ

臓器ごとの硬さについて。突然ですが。


胃はふにゃふにゃです。やわらかーい。よく動く。ただし、引っ張る力にはすごく強い。また、人力でねじっても、ねじ切ることは不可能。これって結構しっかりした能力だと思う。たとえば木の枝って、引っ張ってちぎることはできないけど、ねじりながら曲げるとわりと簡単に折ることができるでしょう。たいていの物質には、力のかかる方向によって、強く耐えられる向きとそうでもない向きとがあるわけ。でも胃はどんな方向でもけっこう大丈夫。

胃の壁はたくさんの筋肉によって支えられている。平滑筋と言って、われわれが普段力こぶを出したり歩いたりするときに使っている骨格筋(横紋筋)とは違い、意志の力で動かすことができず、自律神経によって勝手に動く。この筋肉が、胃の短軸方向と長軸方向、それぞれに向かって二重に走っていて、強い胃の壁を作り出す。場所によってはさらに斜走筋と呼ばれる筋肉にも包まれて三重になっていたりもする。だから引っ張る力やねじる力にはとても強い。でもふにゃふにゃなんです。食べ物を混ぜるためによく動く。たいしたもんだよね。


肝臓という臓器がある。これはけっこう固い。中身がしっかり詰まっている。イメージでいうと……そうだな……イスに座った状態で、ふとももの上の部分をこぶしでトントンと叩いてみてほしい。それくらい硬い。張りがあって、はね返される感じ。

中には細胞がみっちり詰まっている。胃のように中に食べ物を通すわけではなく、肝細胞という名前の、機能する細胞が大量に入っているから、密で硬い。ただ実際のところ、肝細胞だけで構成されているわけではない。肝細胞の作った胆汁を通すためのダクト(胆管)が内部を走行しているし、腸管で吸収した栄養を加工するために肝細胞に運び入れるための別種のダクト(門脈)も走行しているし、心臓から酸素をたっぷり持った血液を運び入れるためのダクト(動脈)も走行していて、血液を排出するためのダクト(静脈)も走行している。つまりはダクトまみれなのだ。ただこのダクトは非常に細いネットワークを作っているので、臓器の硬さにはあんまり関係しない……気もする。しないってことはないんだろうな、と、今書いていて思った。



肺という臓器がある。肺は酸素を取り込んで二酸化炭素を排出する、有名な臓器だ。内部はスポンジのようになっていて、つまりはたくさんの空気をやりとりする必要があるからなのだけれど、硬さもわりとスポンジに近い。ただし、表面は胸膜とよばれる膜で覆われていて、こいつがある程度の弾力を発揮する。内部はフニャフニャなんだけど皮の部分がしっかりしている、というイメージだ。ちなみにタバコを吸いまくると、スポンジが穴だらけになり、表面の皮もボロボロになって、運が悪いと空気がもれて「気胸」と呼ばれる状態になってしまうことがある。必死で息を吸い込んでも肺の表面から空気がもれて、胸の中にたまってしまうから、肺をうまくふくらませることができなくなって呼吸困難に陥る。非常にやばい。肺はみんな大事にしてほしい。



腎臓という臓器がある。腎臓はなんだか……しっかりしている。テニスボールくらいの質感がある気がする。持って比べたことはないけれど。肝臓にも肺にも言えるが腎臓にも表面に膜がある。しかし腎臓の場合は肺とは違って中までみっちりだ。肝臓にも似ている。腎臓は、全身の血液を受け止めて濾過して、いらない成分を尿として体の外に排出する臓器であるが、この尿、排出中に「やっぱり出さない! 回収します!」みたいな調整をめちゃくちゃやっている。トキメキすぎてなかなかものが捨てられない状態であり、尿が尿細管と呼ばれるダクトの中を通過している間ずっと、「これは捨てる……やっぱり捨てない!」と、体の中と尿の中とで大事なものを往復させている。人体は腎臓の迷う気持ちをよくわかっていて(?)、ダクトをすごく長くして、すぐに膀胱の中に捨てさせないように迂回させる仕組みをつくっている。したがって腎臓の中には、肝臓よりもさらに、ダクトがめちゃくちゃいっぱい走っていて、それらのダクトがいちいち迂回をしている。ダクトがみっちり詰まった硬さは、肝細胞のような「水風船のように、ひとつひとつがそれなりに硬い細胞がみっちり詰まっている」のとはまたちょっと違ったニュアンスの硬さになる。


脳はやわらかい。思った以上にやわらかい。えっこれこぼれるんじゃない? ってハラハラするような感じだ。さすが全方位を頭蓋骨に囲まれてぬくぬく過ごしてきた臓器だけある。余計な混ぜ物があまり入っていない。血流は通っているし、神経細胞やグリア細胞といった各種の細胞もいっぱいあるはずなのだけれど、これらは押しくらまんじゅうをするでもなく、ひたすらSNSよろしくコミュニケーションをしていて、間質と呼ばれるスペースには線維もなにもなくてスカスカしている。ちなみに脊髄も同じくらいやわらかいのだが、脊髄が基本的に有髄線維といって、線維のまわりを髄鞘という膜に包まれているのに対し、脳の場合は全部の神経が膜に包まれているわけではないので、その分やわらかく感じる(場所によるが)。


これらをお伝えしたところでみなさんのこれからの暮らしに役に立つことは何もない気がする……。まあいいか。病理学っていつどこでどんな知識と結びつくかわからないしな。いいってことにしとこう。