2023年11月9日木曜日

病理の話(835) 持ち込み企画で医学書をつくる

ある医者に相談を受けて、これから一冊の医学書を作る過程に立ち会うことになった。編集にも執筆にもタッチしない予定であり、できあがった本にぼくの名前がクレジットされることはないが、ひとつの専門書が編み上げられていくさまをいちから見ることができる。そのような縁をもらえたことがうれしい。著者のことはずっと尊敬しているので、本が世に出たら真っ先に読みたいと思っていたから、願ってもないことだ。第一番目の読者になれる。

制作のきっかけは、ある医者が「これまで培ってきた臨床技術を書籍にして世に出したい」とまず願ったことだ。著者の思いファーストである。

著者からスタート=出版社が決まっていないということでもある。

出版社が「こういう専門書のニーズがあるから作ろう」とか、「この医者は前におもしろい本を作っていたからうちでも作ってもらおう」といったように、企画を立ち上げてから執筆適任者を探すパターンもあるが(多いが)、今回はそういうわけではない。

まず、編集者を医者と引き合わせることからはじめる。幸いうまくマッチングでき、すぐにオンライン会議の場がもうけられた。



第一回会議では、医者が思い浮かべる「だいたいこんな本を作りたい」というイメージを、編集者に説明する。マンガの「持ち込み」を想像すると近いかもしれない。医学書の持ち込み企画だ。

マンガの場合は編集者に「わかりにくいですね」と言われたらダメ出しになるのだろうけれど、医学書の場合は「編集者がわからない」ことは必ずしも本の価値を落とさない。専門家が用意したコンテンツを編集者がすべてわかる必要はない。

医療系の編集者は「わかりやすさ」や「表現方法のすばらしさ」を見るのではなく、もっと違うところを見ている。それは「どこに刺さるか」、すなわち、どの層にどれだけの深さで読んでもらえるかという、よりオーダーメードな感覚だと思う。

本を作る以上、たくさん売りたいのは当然だ。しかし「何冊売ることがその本にとっての成功になるのか」の基準は、思ったよりも複雑だ。

そもそも専門性の高い本はあんまり売れない。その情報を必要とする人の数が圧倒的に少ないからだ。ちょっとしか売れない分、単価はどうしても高くなる。1冊の値段が30000円を超えるものもいっぱいある。

ぼくが毎日のように使っている消化管病理学の教科書、「Fenoglio-Preiser's Gastrointestinal Pathology」は、定価が63000円だ。これほど専門性の高い本を買う必要がある病理医は日本には100人いないだろうと思う(ほぼ全員の顔がわかる)が、必要ではなく興味で買う病理医もいるだろうし、大学の病理学講座や図書館などにも入荷するだろうから、なんだかんだで300冊くらいは売れているだろう(予想)。ちなみに今日確認したところ、なぜかAmazonで40%オフくらいになっていたので、興味がある人は買ってみたらいい。

このように、医学書には、「2000人しか専門家の存在しない領域で、50000円の本を500人が買ってくれたらベストセラー」みたいな感覚がある。

とはいえ、専門性が高いから値段を上げましょう、少部数を売り切れば収支はOK、販売成功です、という考え方だけで業界が成り立っているわけではない。

たとえば、最近の医療系出版社はよく、「マンガ的な医学書」を出す。

マンガ的というのは、決してネガティブな意味で使っているわけではない。マンガのように、「多数の人に読まれなければ打ちきられて/本が出なくて当たり前というプレッシャーを乗り越えて表現を追究する姿勢」を盛り込むということだ。

マンガ的な医学書には、理解を助けるためのさまざまな仕掛けがほどこされる。文字通りマンガを挿入したり、指導医(オーベン)と研修医(ネーベン)との掛け合いトークを収録したり、Q&Aコーナーをもうけたりする。「いかに簡単にわかりやすく読めるか」を追究し、医学書以外のさまざまなコンテンツ・エンタメの手法を取り入れる。

そして、なるべく「多数の人」に手に取ってもらい、その分単価を抑える。「多数の人」というのは誰か? それは基本的に「若者たち」だ。専門家になる前の人たち。学生や研修医、専攻医などの若者は、まだ自分の専門性を獲得していなくて、どの領域も広く浅く勉強する。だからいろいろな領域の本を読んでくれる。

超絶カルトな専門性ばかりだと若い人には興味を持ってもらえない。しかし子供だましの初心者向けコラムばかり揃えてもだめだ。そんなものはネットに無料でいくらでも落ちている。「この領域の専門を極めてみたい」という、関心と感心と向上心を喚起するものでなければいけない。単にカンタンに書けばいいというわけでもない。

さらに言えば、若い医療者はほとんどが「職業訓練」の真っ最中である。手技や処置を身につける時期を過ごしている。となると「本を使って勉強する」ことの優先順位が低い。本を読む時間がとれないからあまりたくさんは買わない。収入が少ないから高い本も買えない。

若い人たちを対象とするときはお得感が重要だ。研修の間、ずっと持ち運んで、辞書を引くように使いまくるマニュアル系だったら7000円でも買うかもしれない。しかしひとりの著者が物語るようなタイプの本だと、いかにレジェンド級の医師が書いていようと、5000円でも高く感じる。

看護師をはじめとする医師以外の医療スタッフも視野に入れるならば2800円以上では出せないだろう。

ともあれ。

著者が書きたい内容、書ける内容が、いったいどの層にどのように届けられるべきものなのかを、編集者は判断する必要がある。

そのために必要なのは、著者の脳内にだけ存在する「本のイメージ」を、編集者がきちんと共有するための作業だ。

いったいどうすれば、著者の思い描く理想の本のすがたを、編集者が的確に見抜くことができるのか。

有効なのはおそらく「仮の目次を作る」ことだと思う。

どういう項目を網羅すべきか、どのような順番で語るのがいいか、何を書くか/何を省くか(ここは本当に専門家でなければ全くわからないことだ)、そういったものを、著者が目次のかたちで示せることが大前提であろう。

というわけで、第二回会議までに、著者が「仮の目次」を作ることになった。ついでに誌面イメージとしての「仮原稿」も書いて頂く。これまで著者があちこちで行ってきた講演や著作なども提出してもらう。

こうして、著者と編集者のイメージを揃える。二人三脚で足をしっかり結わえ付けるところから始める。




もっとも、医療系の編集者にはいろんなタイプがいる。

売れる・売れない・二の次で・かっこのよろしい・本ばつくり・読んでもらえば・万々歳・そんなアタシは・かぶきもの・人呼んで・ナンバーガールと発しやす

みたいなタイプの編集者がけっこういる。

そういう人に当たると、医学書の執筆はとっっっっってもたのしいし、できあがった本は結局そんなには売れない(経験談?)。