2023年11月8日水曜日

時間をかけてむせる

夜中にノドが腫れていて目が覚める。きた……コロナだ……と思って絶望し、ひとまずノドの痛みをなんとかするために体を起こして水を飲みに行く。ごくん。痛い。鼻の奥あたり。ごくん。絶望をたしかめるようにもう一口水を飲む。鼻の奥から何かがぽろりと外れる感覚があった。のどにひっかかりそうになるそれをうまく留めて口の中にはこび、指で取り出すとサカナのホネなので仰天した。昨晩の遅い晩飯のときに何かがひっかかってむせた後、どうもノドの上のあたりがごそごそするなあと思っていたのだが、ビールを飲んでそのまま失神するように眠ってしまったけれど、あれがつまりホネだったのだ。気管に入って急激にむせるというのはたまに経験するけれども、ノドの上で鼻のほうに逆流したまま留まって「慢性的にむせる」というのははじめての経験だ。ホネがささったままだったから腫れてきたのだろう。炎症の古典的四徴は発赤、腫脹、疼痛、熱感、これに機能障害を加えて炎症の五徴候。今のぼくのノド、鼻の奥の部分は、おそらく赤く腫れ上がっていて熱を持ち、痛くてのみこみづらさが発生しているから完璧に炎症である。小さな痛み止めを一錠飲んで寝なおす。抗炎症する。3時間ほど追加で寝て、朝起きてもまだノドは痛い。あれ、ホネ拾得は夢だったのか、やはりこれはコロナなのか、と不安になりながら出かける支度をしているうちに、ノドはだんだんよくなってきた。熱も上がらない。首をひねりながら出勤をして、昨晩帰りがけにドカドカ積み上がった次の仕事の山を見ているときに、猛然と疲れが吹き出してきた。ノドの痛みはすっかりよくなったけれど全身がだるくて重くなった。しかしこれはコロナではなく疲労のせいだろうと思う。疲労の理由は睡眠を途中で寸断されたからか? いろんな意味でどたばたしたからか? どちらでもない、そもそも疲れていたからこそノドのホネをなんとかすることもせずに就寝してしまったのだ、因果が逆である。そういったことを数秒かけて考えてさらに疲れた。SNSにぐったりしたことを書き込むと、猛然と返信が付いてそれでまたどっと疲れる。昔からふしぎだったのだが、疲れてしんどい人にメッセージを送る人というのは、「メッセージを読んでそれに返事をするしんどさ」に思いを馳せたことがないのだろうか、それとも思いを馳せてもなお自分の気持ちを伝えることがコミュニケーションだと信じて疑わないのだろうか。ぼくの数少ないネット上の友人たちはみな、ぼくがつらそうにしているときには話しかけてこない。エアリプもしない。代わりに、丁寧に関係のない話題を、少しだけ気持ちが明るくなるような話題を選んで、決して直接話しかけることなく「余力があって気が向いたらこの辺のコンテンツを摂取すれば少しラクになるかもしれないけれどまあ気がついたらでいいし気にしなくていいよ」といったムーブでタイムラインになんらかの花をそえてそれっきり去って行く。それをできる人とだけ付き合いたいものだと思い続けた結果、友だちは増えなかった。人はもっと、無遠慮で不格好なままコミュニケーションしていい生き物で、無節操かつ無鉄砲に友人関係を広げていいはずなのに、ぼくは人間同士の関係にこうあるべきという「べき論」を持ち込みすぎて、そうやって自分の内臓を過剰に守り続けてきた結果、自己炎症的にさいなまれる日がたまに訪れる。