2023年11月1日水曜日

他人のりくつはおことわり

秋のコロナワクチン接種で注射を射った左肩が少し痛い。熱も出ず体調も悪くなっていないことに、感謝したほうがいいだろう。運がよいのだ。ありがたみを噛みしめる。なぜぼくはコロナワクチンの副反応がいつも軽くてすむのか。膨大な量のメカニズムが背景にあることは間違いない。しかしすべてを解説することは必ずできない。理はある、しかし理で語れないことのほうが多い。

一理ある。一理しかない。そんな話ばかり。厭世のことわりは尽きまじ。理不尽という。先日、ある障害を書いた本を読んで猛然と書評をしたためた。おそらく2キロくらい痩せたのではないかという読書であった。ちなみに2キロは水分だけで変動しうる誤差ではあるが、平均で2キロやせられたのならそれはきっとぼくの中にうごめいていた理不尽の魔物がカロリーを代わりに食ったのだと思う。

病気は必ず治せるとは限らない。治療は必ずうまくいくとは限らない。そもそも治療があるとは限らない。何か変わったままやっていかなければいけない。効くと思っていて効かない。良かれと思ったけれど逆効果。あきらめたはずが停滞。終わると思っていたものが継続。すべてに一理ずつあり一理までしかない。理不尽に殴られて涙する人たちが戦車に乗ってやってくる。私たちは一理でしか戦えない。そもそも戦ってはいけないのではないか。理をもって戦うことの理不尽を思う。

台湾で開催される研究会の誘いを釧路出張があると言って断った。献本したいと書いたメールにすぐさまAmazonで購入した画面のスクショを貼って送った。この記事を書いている今日、40分後には、ぼくは自分の車で出張に出る。途中、タイヤをスタッドレスに変えなければ危なそうなので少し早めに出るのだ。ほんとうは電車で行けばいい。1泊して明日の朝、ゆっくり電車で帰ってくればいい。職場の都合なのだからそれでいいはずなのだがぼくは今から自分で運転して出張に行くし、明日は4時に起きて車に乗って帰ってきていつも通りの時間に出勤する。一理ある。一理しかない。なぜそうするのですか、という言葉に対して、理でこたえることは不可能だ。なのになぜぼくらは、すぐ、人を理詰めで説得しようと思ってしまうのか。そこにもきっと一理あり、ひとつの理くらいしかない。