2023年11月16日木曜日

メールのトリコ

このブログを書いている次の日から、木・金と出張で仕事場を開ける。土曜日の夕方に戻ってきて髪を切り、日曜日に出勤して残務を片付ける予定だ。

残務と言っても診断業務については同僚がカヴァーしてくれているので、本職に関しては別に仕事が溜まったり残ったりはしない。それはほんとうにありがたい。病理医が一人しか勤務していない、いわゆる「ひとり病理医」の環境だったらこうはいかない。

一方で、メールの返事は確実に溜まる。共同研究の進捗を自分がストップさせていないか、新規の診断コンサルテーションが舞い込んでいないか、学生から講義の質問が来ていないか。出張中にもPCは持っていくけれど、たいていの時間はPCを開かず勉強したり相談したり気絶したりしているので、メールはとにかく、帰ってからだ。ちょっとお待たせすることになってしまうけれど……。

それくらいでいいのだろう。あまりメールに真剣にならなくていいのだろう。



「あまりメールに真剣にならなくていい」はここ1年くらいの自戒である。よく自分に言い聞かせている。もともとぼくはメールに真剣に向き合うほうだ。それはおそらく過剰なレベルだ、ということが近頃よくわかってきた。

ふだん自分の信頼できる人とばかりやりとりしていると、たまにしかやりとりしない人たちのメールの「雑さ」にひっくり返りそうになる。題名無し、本文無しのGmailにパワポのプレゼンだけを貼り付けて「見ておいてくれ」と電話をかけてくるドクターがいたかと思えば、期限ギリギリの案件について「至急お返事ください」とメールしてくるくせにこちらが返信するとそれに対する反応は必ず1週間遅れるディレクターもいる。フォントのサイズがおかしい。敬語を含めた日本語がへん。返信機能を使わずに毎回「新規作成」でメールを寄越すのでそれまでの話とのつながりがわからない。半年以上前の案件を前提無しで語り始めるので、しばらく検索をしないとこの人がなんの仕事について言っているのかわからない、などなど。

ビジネスマナーの浸透率の低さ? いや、もっと根本的な、「相手がこれを読んだら何をどれくらい考えるだろうか」ということに対して想像というリソースをあまり割いていないということ。

しかし、逆に、ぼくがそういうのを気にしすぎなのだ、ということを今は思うようになった。失礼な、要領を得ない、一方的なメールをしてくる人はみな、それぞれの世界できちんと働いていて、特にコミュニケーションの齟齬も生じずにやりくりしている。となれば、ひとり怒っているぼくだけが過剰だということになる。

早くレスポンスすることこそ社会人のたしなみだ、とか、なるべく見やすい日本語で簡潔かつ丁寧に用件のみを書くべし、といった、メールマナーをずっと気にしてきた。そこまで真剣にやる必要はなかった気がする。ちょっと神経症っぽかったなと思う。



いろいろと荷を降ろすタイプのことをやっている毎日だ。今とくに気を遣っているのが「メールに真剣になりすぎないこと」である。ぼくはもっと返事が遅くていい。のんびり仕事をしている人たちにいちいちキレ散らかす必要もない。雑でいい。失礼なくらいが長持ちする。そろそろ「わかる」べきなのだ。このブログを書いている最中に届いたメール2通、すかさず返信を送って、また何ごともないようにブログの画面に戻っているだけど、ほんと、そういうことしなくていいのだと思う。その証拠に、ほら、みんなこんなに雑に接してくるではないか。ニコニコとした顔で。