2023年11月24日金曜日

病理の話(840) 言葉の先にたどり着けない

今日はあえて具体的な病名を出すことにする。大腸にSSLという病気がある。スーパー蒸気機関車ではない。Sessile serrated lesionの略だ。

大腸の粘膜に、まるでみずぶくれのような形をした、1センチ前後のひらべったい、ちょっと表面に粘液のついたうすーい隆起ができる。大腸カメラがハイビジョン化したことで見つかるようになった、昔は見逃されてきた病気である。

そして、じつはこれを見逃して、あるいは放っておいたところで、ほとんどの人は問題ない。SSLはSSLのままさほど大きくもならないし育ちもしないのではないか、と言われる。ただし、数パーセント(一説によると1%未満とも言う)の確率で、そこからなんと、がんが出てくる。なので放置できない。

この放置のできなさは……そうだな、今はいろいろぶっそうな世の中だから、家のカギをかけないで寝るなんて想像もつかないだろう。しかし実際には、近所のコンビニに行く短時間の間に、カギをかけなかったからといって泥棒にすかさず踏み込まれることは少ないだろう。玄関にもオートロックがあるし、フロアには防犯カメラだってある。よっぽどマークされていて、生活スタイルを把握されていて、運が悪いときに、たまたま部屋を離れた十数分に空き巣にやられるかもしれない、でもその可能性はたぶん数%とかではないかと思う。だからといってみなさんが、「数%しか空き巣に入られないならカギなんてかけなくていいや」とは思わないだろう。そこはやっぱり、カギをかけるであろう。

それといっしょだ。SSLも放置はしない。基本、見つけたら、切り取ってしまう。大腸カメラの先端からマジックハンド的なデバイスを出して、粘膜の病気の部分だけを剥がしてくるのである。



前置きが長くなったが、このSSLを病理診断するときのことを考える。どのように診断をすすめるか? 取ってきた検体を顕微鏡標本にして、細胞を観察していくのだけれども、ここで、「なんとなくニュアンスで」診断するわけではなくて、ちゃんと診断基準というものがある。

「病変のどこかに、特徴的な細胞の配列があったらSSLと名付けましょう。」

というルールがあるのだ。これに従う。慣れてくれば簡単である。

ただし、この診断をしばらくやり続けていると、一部の人は、ある疑問を持つ。


「病変のどこかに……? どこかに、とは……?」

この文章を裏返すとそこには、ある地味な、しかし見逃せない違和感が存在する。



たとえば、「がん」を病理診断する際は、カタマリを作ったがんのどの場所を見ても、構成する細胞が「悪そう」だというのが原則なのである。ヤクザの事務所に踏み込んでいったらそこにいる構成員はみな面構えが悪い。がんの内部にはがん細胞が満ち満ちている。そういうことなのだ。だから、「ここからここまでががんですね」と判断することも可能になる。


しかし、SSLの場合は、「病変のどこかに典型的なSSLっぽさが見つかれば、そのほかの場所にはSSLらしさがなくても、薄く盛り上がった領域全体をSSLと判定する」というルールになっているのだ。

これはけっこう……というかかなり……不思議なことである。


たとえ話を使うならば、札幌の中にある数百のラーメン店のうち、1店舗だけが反社の方々によって経営されていたとする。それを見つけたらすかさず、「札幌のラーメン屋はぜんぶだめですね。」というようなことだ。ひどいとばっちりではないか。


なんでもかんでもヤクザにたとえて本質から遠ざかるのも本意ではないのだが、病理医もまた、このSSLの診断基準を読むとモヤる。


まあそこにはいろいろな理由があるのだ。SSLという病気は、腫れぼったくなっている粘膜全体にある種のDNAの異常が存在するのだが(遺伝するというわけではない。そこだけDNAがダメージを受けている状況だと思えばいい)、このDNAの異常が必ずしも、顕微鏡で確認できるカタチの異常につながらないのだ。見た目ふつうだけどDNAはやられている部分というのも存在する。そのことを知っているエライ人たちが、「SSLはどっか1箇所おかしかったら全部おかしいと思ったほうがいいよ。」と言っている、というわけだ。ゴキブリを1匹見つけたら30匹いると思いなさい。ヤクザやゴキブリにばかりたとえるのもどうかと思うが……。


以上をふまえて、今日のぼくが言いたいことに結びつける。

世の中にはさまざまなSSLが存在する。2センチ大のひらべったいSSLを顕微鏡で見てみたら、その2センチのほとんどが「いかにもSSL」という細胞で埋め尽くされている場合もあるし、5ミリのSSLを顕微鏡で見てみたけれどわずか数百ミクロンくらいしかSSLっぽくない、でも一部がSSLだから全体をSSLと呼んでいる、みたいな病変もありえる。

多様なのだ。事務所の中にヤクザがみちみちパターンもあれば、スタバの中にヤクザがひとり、というパターンもある。

これらをすべて、「SSL」と診断して包摂する。それが病理診断であり、これにはメリットとデメリットがある。


メリット:さまざまな病気のありようを「SSL」という言葉でまとめて取り扱うことができる。SSLにはこういう治療をすればいい、という方針に乗っけてわかりやすく治療を終わらせることができる。

デメリット:本来さまざまに異なるはずの病気を「SSL」という言葉でまとめてしまうので、細かな差が消失してしまう。全体がヤクザというのとひとりがヤクザというのとでは、体の中でその後どうなっていくのかが、おそらく違うはずなのだが……。



名付けというのはつまりはそういうことだ。紐付けと言ってもいいだろう。まとめてラベルをつけて、糸で縛って古書店のフェアに出すみたいに、ヒトカタマリでドンと置いてしまう。あいつがまとめて出した古本はどれもおもしれぇなーと感動されることもあるが、クオリティの高い本で雑本を抱き合わせて出品してんじゃねーかと笑われることもある。病理診断において、なにをどこまで「ひとくくりにするか」については立場ごと、人ごとの哲学と思想があり、それらを踏み越えたり留保したりするたびに、「うーん、これ、今日はSSLって診断するけど、いつまでそうしていられるのかなあ。」みたいに、逡巡や葛藤が出てくる。


出てこない? それは病理医ではないということである。いや違うか。名付けてまとめることに悩みを持たないタイプの病理医もいる。ただ顕微鏡を見て診断を書いているという点だけで、さまざまなタイプの人間を、「病理医」という名前のもとに縛り付けており、その言葉の向こうにあるニュアンスの違いにはたどり着けなくなるということだ。