とある研究会に出たときの話をしよう。
その回の当番にあたった臨床医が、ある患者の画像を画面に提示する。
血液データに加えて、CT, MRI, 超音波……。
これらは整理された状態でパワーポイントに貼り付けられている。
参加者は、内科医、外科医、放射線科医、そして病理医など。
いろいろな専門の医者たちが、Zoomの画面越しに、見る。
見て、考える。
もし、この患者に自分が遭遇したら、何を考えて、どういう治療方針を選ぶだろうか、と、追体験をするのである。
でもまあ全員が黙って考えているだけだと会が進まない。
そこで、事前にあてられていた発表者が、代表してその画像を「読む」。読影(どくえい)という言葉がある。
ぼくらも、発表者も、答えは教えてもらっていない。
できれば答えにたどり着きたいなと思いながら、読影をして、診断を考える。
みんなプロだ。だから当てたい。
しかし今日は「研究会」だ。わかりやすい典型的な症例は提示されない。
画像の見え方がめずらしいとか、いかにも間違いそうな見た目をしているとか、そもそもの病気自体が珍しいとか、いろいろな理由で、症例は選ばれる。
だからどれだけ考えても、「正解」にたどり着くのは至難の業だ。
案の定、その日の症例の、「正解」にたどり着いた人はひとりもいなかった。
途中、読影の最中に、少しだけ「惜しい」答えが幾人かから提示されたが、それはちょっと違うだろうということで棄却された、ある珍しい病名が答えだったのだ。
みんなためいきをついた。
正解を提示するのは、病理医だ。
ここでの病理医は、手術によって摘出された病気を解析する。だから診断名にたどりつくことができる。
参加していた外科医のひとりが質問をした。「この症例はだいぶめずらしいですよねえ。今までに報告されているんですか?」
すると、解説を担当した若い病理医が言った。「えっと……私が調べたかぎりでは、過去に報告はありません。」
「世界初!」
Zoomがしずかにどよめく(みんなミュートだけど)。
ぼくもびっくりした。
しかし……数分後に、ほんとうかな、と思う。その病気は確かに、その臓器に出れば珍しいことは間違いない。しかし、ほかの臓器には出ることがある。
こういう「非典型的な場所に出現する病気」というのは、どれだけ珍しくても、たんねんに論文を探すと、たいてい世界の誰かが報告しているものだ。
若い病理医はきちんとPubMed(論文検索サイト)を検索できたのだろうか。
ぼくもその場で、ためしに調べてみる。
その病理医が述べた診断名を入れてみると……うーん、ドンピシャのは確かに見つからないようだが……。
別の臓器に出るときの名前に変えて検索してみる。すると案の定、今回の症例とよく似た症例が、とある国から報告されているではないか。
あーあ。ちゃんと論文検索してなかったんだろうな。というか、若い病理医だったから、検索の仕方もまだよくわかってなかったのかもしれない。
論文はオープンアクセス(無料でダウンロードできるもの)だった。最近のものだ。せっかくなのでその場で読む。「世界で約100例の報告があり……」とある。
たしかにめちゃくちゃめずらしいことは事実だ。この広い世の中で、まだ100例しか報告されていないなんて! Extremely rare(超まれ)である。
しかし、世界初、ではない。
それはなんというか……そりゃそうなんだよ……「それが世界初なわけないんだよ」という感覚なのである。病理医にとっての「世界初」は、めったに訪れない。「こんな珍しい病気、まずないだろう!」と思っても、どこかの誰かがすでに報告していることがほとんどなのである。