2023年11月21日火曜日

病理の話(839) 世界初の症例

とある研究会に出たときの話をしよう。


その回の当番にあたった臨床医が、ある患者の画像を画面に提示する。

血液データに加えて、CT, MRI, 超音波……。

これらは整理された状態でパワーポイントに貼り付けられている。

参加者は、内科医、外科医、放射線科医、そして病理医など。

いろいろな専門の医者たちが、Zoomの画面越しに、見る。

見て、考える。

もし、この患者に自分が遭遇したら、何を考えて、どういう治療方針を選ぶだろうか、と、追体験をするのである。


でもまあ全員が黙って考えているだけだと会が進まない。

そこで、事前にあてられていた発表者が、代表してその画像を「読む」。読影(どくえい)という言葉がある。

ぼくらも、発表者も、答えは教えてもらっていない。

できれば答えにたどり着きたいなと思いながら、読影をして、診断を考える。

みんなプロだ。だから当てたい。

しかし今日は「研究会」だ。わかりやすい典型的な症例は提示されない。

画像の見え方がめずらしいとか、いかにも間違いそうな見た目をしているとか、そもそもの病気自体が珍しいとか、いろいろな理由で、症例は選ばれる。

だからどれだけ考えても、「正解」にたどり着くのは至難の業だ。


案の定、その日の症例の、「正解」にたどり着いた人はひとりもいなかった。

途中、読影の最中に、少しだけ「惜しい」答えが幾人かから提示されたが、それはちょっと違うだろうということで棄却された、ある珍しい病名が答えだったのだ。

みんなためいきをついた。

正解を提示するのは、病理医だ。

ここでの病理医は、手術によって摘出された病気を解析する。だから診断名にたどりつくことができる。


参加していた外科医のひとりが質問をした。「この症例はだいぶめずらしいですよねえ。今までに報告されているんですか?」

すると、解説を担当した若い病理医が言った。「えっと……私が調べたかぎりでは、過去に報告はありません。」

「世界初!」

Zoomがしずかにどよめく(みんなミュートだけど)。

ぼくもびっくりした。


しかし……数分後に、ほんとうかな、と思う。その病気は確かに、その臓器に出れば珍しいことは間違いない。しかし、ほかの臓器には出ることがある。

こういう「非典型的な場所に出現する病気」というのは、どれだけ珍しくても、たんねんに論文を探すと、たいてい世界の誰かが報告しているものだ。

若い病理医はきちんとPubMed(論文検索サイト)を検索できたのだろうか。

ぼくもその場で、ためしに調べてみる。


その病理医が述べた診断名を入れてみると……うーん、ドンピシャのは確かに見つからないようだが……。


別の臓器に出るときの名前に変えて検索してみる。すると案の定、今回の症例とよく似た症例が、とある国から報告されているではないか。


あーあ。ちゃんと論文検索してなかったんだろうな。というか、若い病理医だったから、検索の仕方もまだよくわかってなかったのかもしれない。


論文はオープンアクセス(無料でダウンロードできるもの)だった。最近のものだ。せっかくなのでその場で読む。「世界で約100例の報告があり……」とある。


たしかにめちゃくちゃめずらしいことは事実だ。この広い世の中で、まだ100例しか報告されていないなんて! Extremely rare(超まれ)である。


しかし、世界初、ではない。


それはなんというか……そりゃそうなんだよ……「それが世界初なわけないんだよ」という感覚なのである。病理医にとっての「世界初」は、めったに訪れない。「こんな珍しい病気、まずないだろう!」と思っても、どこかの誰かがすでに報告していることがほとんどなのである。