2023年11月27日月曜日

病理の話(842) 二人目の診断

病理診断は、見落とし、うっかりミス、報告書の書き間違いなどをふせぐために、「ダブルチェック」をする。

一人目の病理医が顕微鏡で細胞を見て、レポート(報告書)を書いたあと、それをすぐに電子カルテに送信して主治医たちに読んでもらうのではなく、いったん「仮登録」をする。

仮登録の段階では、主治医たちはレポート内容を読むことができない。

ここで、二人目の病理医が、レポートの文章をチェックする。これがダブルチェックだ。

チェックは1回目なのだからシングルチェックじゃないの? とか言わないでほしい。最初にレポートを書いた人も、仮登録を押す前によく「見直し」をしている。セルフチェック済みということ。だから二人目のチェックはダブルチェックと呼ばれる。


こうやって書くと、ダブルチェックはまるで、原稿の「校正」みたいだ。

ただし、二人目の病理医は別に仮登録されたレポートの文面や字面だけをチェックするのではない。

二人目もまた、顕微鏡でしっかりと細胞を見る。あらかじめ一人が細胞を見たから二人目はもう細胞を見ないとか、適当にしか見ないというのではなく、ふつうに診断のプロセスをもう一度くり返す。


とはいえ、二人目のほうが少しだけ早く見終わる。レポートの文章を書く時間がない分、はやい。プレパラートのどこに異常な細胞があるか、などのマーキング作業(水性ペンや油性ペンを使ってガラスの上にマークを付ける)なども、二人目はあまりやらなくていい。

その代わり、二人目の病理医は、二人目特有の「目線」で細胞を見る。

たとえば、箇条書きでさまざまな要素をチェックするタイプのレポートなら、表記漏れが起こりやすい部分というのはある程度決まっている。気を付けていてもうっかり書き漏らしたりする。

でも、そういう単純なミスの発見は、将来はAIがやってくれるに違いない。

書き間違いとか表現のおかしさよりも、もっと根本的な部分で、ダブルチェックをするべきだ。それはたとえば、こういうことだ。


一人目の病理医が「全力」で診断を出した。手を抜いたりとか、油断したりとかは、ない。それでも、誤診は起こりうる。起こってしまう。

「経験のある病理医が全力で診断をしたのに細胞の意味をとりちがえる」ときのパターンを、二人目の病理医は、頭に叩き込んでおくのだ。


1.細胞のようすが、いかにもある病気のように見えるが、じつは低確率で、その病気にそっくりの形状を示す「別の病気」ということがありうる。

2.細胞の変化が非常に微細・小範囲に留まっているために、気を付けていてもうっかり見逃してしまう。

3.レアな病気のため、知識が足りないために、そこに証拠があっても気づかない。

まとめるとこういうことだ。

「ミミッカー注意! 見逃し注意! 激レア注意!」

ミミッカーとはドラクエに出てくる「ミミック」を思い浮かべればわかるかもしれないが、「真似をするもの」という意味。見逃し注意はそのままだ。激レアもわかるだろう。

駅のホームで乗務員や車掌さんが、指さし確認をしてミスを減らすように、我々も、ダブルチェックのときには、「全力で診断した病理医がそれでも間違うポイント」を強めに意識する。

一人目からそれをやればいいじゃん、と思うだろう? やっている。やっているのだ。それでも間違う。一人目はどうしても自由演技になる。誰もレポートを書いていないところにフリースタイルで診断を書く。そのことにちょっとだけ頭脳を持っていかれる。負担を割く。すると間違うことがある。まれに、低確率で。

だから二人目はより、「誤診を前提とした」チェックをするのだ。いやらしいよね。減点法の採点官みたいだ。



ぼくは今、「一人目」も、「二人目」も担当する。やはり、「一人目」のときにはうっかり見逃したり間違えたりすることがあるし、そのことを元に「二人目」として他人のうっかりを拾い上げる。そして二人目としての経験を積んでもなお、「一人目」のときは誤診をしそうになるのだ。気を付けてはいるがやはり完璧には達しない。ダブルチェックはぼくらの命綱だ。ひとりで二人分考えられたらどれだけいいだろうと思うし、もしぼくの脳の中に、うまいこと二人の病理医を抱えられたとしたら、ぼくはきっと、同僚に「三人目」のチェックをお願いすることになるだろう。病理診断とはそういう部門なのだ。