2019年4月1日月曜日

病理の話(309) 病理の説明ありがとうございます

「体の中から細胞を取ってきて、顕微鏡で調べると、何がわかるんですか。」

「その病理という検査は、やらなければいけないものなんですか。」


こういう質問を、ぼく自身は、受けたことがない。

なぜか? それはぼく(病理医)が、直接患者に会わないからだ。



患者が「病理という検査」に疑問をもったとき、たずねる相手は主治医、あるいは看護師だ。臨床の現場で、患者と直に接しながらはたらく人たち。

患者から出る「病理に対する疑問」に、病理医が直接答えることはない。

では、直接答える機会がある人たち……臨床医や看護師たちは、患者から病理について尋ねられたとき、いったいどのように答えているのだろう。

いわばぼくらの「代わりに」答えてくれているわけだが……。




幾人かの臨床医に尋ねてみた。

「別にそんなこと聞かれたことないな」という人が一番多かった。

医者って質問されづらい職業である。「先生」と呼ばれる人間には2種類あって、学校の先生のように生徒(?)からの質問を常に受けるタイプの人と、芸術家や政治家のようにちょっと恐れられるタイプの人。

医者はどっちかな。どっちのこともあるな。

後者のときは、患者も質問しづらいと思う。




「これで診断を確定させるんですよって言っといた」みたいな答え方をするという人もいた。

まあそうだな。

診断を確定、なんて、新たに熟語を二つも使っている。堅苦しいなーとは思う。ぼくもよくやるけど。

そもそも「診断を確定」することが、病気を治したり病気と付き合ったりする上で、どれだけ大事なことなのか、というところから説明しなければいけないから、シンプルだけどそう簡単なやりとりではない。臨床の人たちは大変だ。





「がんかがんじゃないかを見ます」と答えている人が複数いた。ぼくも、これが一番シンプルだと思う。実際にぼくらが細胞をみて判断しているのは「二択クイズ」ではないんだけれど、本質的にはこの「がんか、そうでないか」のところにかなり力量が割かれている。おおむね、あってる。

けれども、病理に検査を出す目的が毎回「がんかどうか」ではない。

たとえば、胃炎とか腸炎の度合いを調べたり、原因を探ったりするときにも病理を使う場合がある。ときと場合によるな。





臨床医がしっかり丁寧に説明をする場合には、最初から「なんのために細胞を取るのか」をきちんと話しているようだ。

「あなたの病気は、今のところ、腸炎だと考えています。それも、感染性腸炎といって、ウイルスが腸にとりついて、悪さをしているものだと思うのです。その可能性が一番高いです。ただ、現時点で可能性が低いと思っていますが、潰瘍性大腸炎という別の病気かもしれない。ほかにも、低確率でありえるような病気があります。

これらを見極めるのは私の仕事ですが、病理という部門にもお手伝いをしてもらおうと思います。大腸カメラでのぞいた場所から、小指の先ほどの粘膜をつまみとってきて、病理医という別の医者に、顕微鏡で見てもらう。そして意見を聞きます。

そうすることで、今わたしが内視鏡でみた以上の情報が得られることがあります。大腸の細胞や、その周りに増えている炎症細胞というもの、あるいは、粘膜を作っているさまざまな構造が壊れているかどうか。

これらを総合して、あなたの病気の正体を、もう少し慎重に探らせて下さい。」

ここまで説明している臨床医であれば、もはや患者から病理についての質問を受けることは少ないだろう。だとしたら、「病理についての質問? 聞かれたことないな」というリアクションも、まあ、わかる。




ぼくの説明はだいたいこうだ。

「病気の正体を探ったり、どれくらい病気がすすんでいるかを調べるのに、医者はいろんな道具を使うんです。CTもそうですし、血液を見たりもします。そして、一部の病気は、病気を形作っている細胞を直接みることで、ほかのどんな検査よりも本質がよくわかる場合があるんです。おまけに、細胞をみる人は、細胞をみる専門の医者です。

病理に検査を出すと、主治医が2人に増えるんですよ。1人はいつも見てもらっている医者、もう1人は細胞をみることで、今までの主治医とは違った確度から病気に迫る医者。ですから病理はけっこう贅沢な検査です。信頼度も高いですよ。」

でも、こう説明したらどうか、と知人たちに言うと、だいたい笑われる。

「なんか病理かっこいいな(笑)」





そうだよ。かっこいいんだよ。なにか文句あんのか。ちぇっ。