2021年1月5日火曜日

病理の話(491) 病気の知識だけあってもだめというテーマ

2020年12月25日に発売となった、『アフタヌーン』誌(2021年2月号)に掲載されている『フラジャイル 病理医岸京一郎の所見』がエグい。


コミックスでいうと19巻がこないだ発売されたばかりだが、最新回はちょうど「19巻のすぐ次」にあたる。つまり、コミックス派もここから雑誌を買えば追いつくことができる。ぜひ追いついてもらいたい。アフタヌーンは今大変アツイぞ。ブルーピリオドもスキップとローファーもいいし、マジオペ(マージナルオペレーション)はもうすぐ最終回らしいが、ワンダンスがあればさみしさにも耐えられる。地味に「友達として大好き」もすばらしいと思う……


いや違った、今日は病理の話だ。フラジャイル最新話の何がエグいかを語る。ネタバレはしないので安心して欲しい。




このマンガは簡単に言うと病理医……という珍奇な職業を通じて医療現場のさまざまなもろさ、弱さ、ゆがみなどを描き出す物語である。病理医が主人公だからといって、ヒーローがエースでチャンピオンでスマイルプリキュアとはならないのが特徴だ。正義をまっすぐ書かない。ご都合主義の解決を描かない。大人の極上嗜好品であり講談社漫画賞受賞作でもある。

作画がうますぎて多くの人の目に触れる。するとときには変なリアクションも集める。

「なんでこの主人公はこんな行動をしたんだ!」

「あのマンガに出てきた例の医者の発言はやばいぞ!」

などと、かつてネットの片隅でナンクセを付けていた人もいた。そういう人たちは文学を読んだことがないのかなと疑問に思う。太宰治の人間失格を読んで「もっときちんとしろ」と言うようなものだ。「フラジャイル=脆弱。取扱注意」というタイトルを見て、何も考え付かないのだろうか? 物語を脳内で楽しく摂取できない人のことを哀れむ。


話を戻すが、『フラジャイル』は、病理医のマンガだからと言って病理医のことを大絶賛して、病理医の職能ばかりにクローズアップしていくわけでもないのが潔い。


そして最新話である。ぼくが今までひそかにずーーーーーーーっと考えていた、「医療系マンガで一番描くのが難しいであろう機微」を扱っているのでぼくはびっくりした。

何かというと。



「病気の知識だけあってもだめ



という「テーマ」(≒真実)である。



病理医マンガでこれを描くというのは原作が(いい意味で)狂っている。すさまじい洞察の末に書かれた脚本だ。ぼくは身震いをした。




医者は実際には「手技」を行わなければいけない。「処置」でもいい。考えるだけではなく体を動かす必要がある仕事だ。判断をしながら行動もしなければいけない。書いてみると当たり前のことである。「頭だけよくたってだめなんだよ」みたいなセリフをあなたも聞いたことがあるだろう。「机上の空論じゃだめだよね」なんて、自分でも言ったことがあるかもしれない。

……おわかりだろうか。

「聞いたことがある」し、「言ったこともある」テーマを、マンガが描くとき、そこにあるのは基本的に、既視感とマンネリになるはずである。

なのに、『フラジャイル』は、それを描くことを選んだ。



実際この「医者は体を動かしてなんぼだ」というテーマは、描けば描くほど陳腐になりかねない、トラップのような題材だと感じている。それには理由がいくつかある。



医者の手が異常に器用で手術がめちゃくちゃうまいとか、医者の判断が早くて一刻一秒を争う場面で正しい手技が施されるみたいな展開は、あらゆる過去のエンタメでコスられすぎており、目新しさが一切ない。「ピアニストみたいに手が動くぞ、あの医者」はブラックジャックがとっくに全部描いてしまった。「気胸だ!ボールペンドス――!」は救命病棟24時で江口洋介がなぜか海岸を舞台にやって以降描かれなくなった。「ペロ……これは……青酸カリ!」はコナン君の名を一躍スターダムにのし上げて(?)、かつ危ないのでやってはいけません。



逆に、そういう「言われすぎて来た医療のテーマ」を、病理医というキテレツな狂言回しを通じてディストーションをかけながら描写してきたのが『フラジャイル』なのである。「考えることしかしない職業人」が病院の中にいることが「めずらしくて、おもしろい」というのがこのマンガの根幹に(望むと望まざるとにかかわらず)ある。


しかしとうとう最新話ではこの魔窟に踏み込んだ感がある。さあここからどうなるのか。



「『病気の知識だけあってもだめ』という程度の認識で医療を見ているやつはぜんぜんだめ」みたいなテーマに逆転させるつもりか?


いや……そんなのもうフラジャイルの読者だったら予想できてしまう。「結局最後は岸先生の頭脳が、行動派の英雄気取りの若い医者を尻拭いするんでしょ」みたいなこと、ここまで読んできた読者なら多かれ少なかれ予想はしているのだ。


でもその予想を裏切り、期待を裏切らずにここまでやってきたのが『フラジャイル』というマンガの凄みなのである。


相次ぐ製薬会社編、緩和ケア、ソフトランディング型の死、医療訴訟、そしてがんとその家族といった、誰もが問題だとは知っていて幾度となく描いてきたけれども結局たいてい陳腐化してしまったテーマを、


・熱意はあるし有能なんだけどぎりぎりのところで能力が足りない医者


や、


・じっくり考えればもっとよい策を思い付くんだろうけれど妙にリアルな時間設定の中で絶妙に結果的に間違った選択をしてしまう医者


や、


・現実的に逃げ道を用意していてどうやっても断罪できないような周到さを備えている悪い小者


などの、普通描けないだろってくらい設定の深いキャラを複数、全開で動かすことで、余人には考え付かないような展開とスペクタクルを展開してきた『フラジャイル』である。




「病気の知識だけあってもだめ」というテーマをこの先どう扱っていくのか……本当に楽しみで仕方ない。20巻早く出ないかなあ。19巻のおまけマンガ読んで号泣したからな。もはやぼくは宮崎の親である。