病理医が顕微鏡をみて細胞の性状を考えているとき、手元には……あるいはデスクトップには1枚の「依頼書」がある。
その細胞を採取した主治医が書いた文章。
病理医であるぼくに読ませようと思って、書いた文章。
たとえば、
「体下部小弯後壁 1材」
とだけ書かれた依頼書がある。体下部小弯後壁、というのは、胃の中の住所みたいなものだ。どこにも「胃」とは書いていないが、こう書いてあると「ああ、胃なんだな」ということはわかる。
小「弯」……本来は小「彎」と記載するが、面倒なので略字を用いられることも多い。
「1材」というのは、1個つまみました、くらいの意味だ。
「胃のこの場所から1個、粘膜をつまんできました。見てね」というわけである。無味乾燥だが必要十分でもある。
ときに、その文章の横っちょに、暗号みたいな図が手書きで描かれていることもある。たとえばこんな感じだ。
なんじゃこの貧相なタンポポは、と思われそうだが、矢印の先の部分を「切片①」として採取してきた、という意味がある。線が寄り集まっているのは、その中心に向かって「胃の粘膜がひきつれている」ことを示す。
仕事の文章というのは、「誤解なく伝える・伝わること」と共に、「文章を書くことに時間をとられてほかの仕事を圧迫しない程度に省略すること」が求められる。芸術性は必要ない。人間はどこまで記号化したやりとりで意図を共有できるのだろうかという命題を、毎日解いているようなところがある。日ごろから臨床医たちと会話をし、その医者がどういうタイミングで病理に検体を出したいかを把握していれば、子どもの落書きみたいな模式図からも伝わるものはある。
そういう文章が集まってくる中心点ではたらく。省略と記号の集合地に暮らす。だからこそ、病理医の書く文章だけは、逆に、なるべくわかりやすく丁寧でなければいけない。
中心から逆に辺縁に向かって送り返す文章は常に読みやすくしておく、必要以上の略称を用いない、むしろ、必要以上に略称を「ほどく」。「AIH」ではなく「自己免疫性肝炎 autoimmune hepatitis; AIH」と毎回記載する。「GIST」ではなく「Gastrointestinal stromal tumor; GIST」と毎回記載する。読み手の勘違いを防ぐためだ。この先何科の医者がみることになるかわからない病理診断報告書に、「これでわかるよね~」的な甘い略称を書いてはいけない。
丁寧さは一方通行である。臨床医には臨床医の事情とスピードがあり、病理医には病理医の立場とクオリティがある。基本的に、依頼書はシンプルで、報告書は細かい。
ただ、まれに、臨床医の書く依頼書が、妙に念入りなことがある。
「お世話になっております。●●を疑い○○から生検しました。造影CTでは□□なのですが、造影超音波ですと△△であり乖離がある点が気になっています。遠方からお越しの患者であり、併存疾患も多く早期の対応が求められます。大変恐縮ですが貴科的に御高診ください。」
こういう文章を読んだときに「ハッ」とする。いつものノリじゃない!
ここで脳にニトロを流し込めるか。本当にその一点に、病理診断医としての質の違いというか、患者に対して2秒早く対処できるかどうかの分水嶺があるというか……。
具体例を書けないんでこのへんにしとくけれど、病理医が救急医のようなスピードで電話をかけ、目にも留まらない速さで教科書をめくりながら顕微鏡をみて猛然と診断する現場は、年に3回くらいある。たった3回。その3回で「ハッ」とできるかどうか。あるいはぼくも、もっと優秀だったら、年に6回くらいは「ハッ」としているのかもしれないが。