2021年1月26日火曜日

病理の話(498) がんの定義

実はこの回、当ブログ「脳だけが旅をする」の1000本目の記事となる。通し番号が微妙にずれている(交互に病理の話とそうでない話をしていたはずだった)のだが、途中ちょっとイレギュラーな回もあったし、ま、こんなもんだろう。いちおうキリのいい回なので王道の話をする。




顕微鏡を見てその細胞が「がん」かそうでないかを判断すること。病理医の大切な仕事。


この、「がん」とは、そもそも何なのか?




もっとも文字数少なく説明するならば、「がん」とは、秩序を乱すものだ。

「がん」は、いくつかの際立った特徴によって、人体がそれまで保ってきたバランスを崩す。



人体がやりくりをしていくときに大事なのは、無数の細胞がきちんと手分けしていることだ。指には指の、胃には胃の、脳には脳の細胞がいて、それらが


・適切な人数そろっていて、

・適切な専門技術をもって働いていて

・定期的に新陳代謝する(古くなってエラーを起こす前に入れ替わる)


ことが必要なのである。これ、人間社会とまったく一緒だと考えてもらっていい。田舎のジャスコに大量の専門店が入っていて、それぞれに数人ずつの店員がいて、バックヤードで輸送にたずさわる人たちがいて、フードコートがあって……それぞれ売り場や仕入れや物品搬送、あるいは料理などに長けた人が適材適所できちんと配置されている。何年も同じ人がずっとそこにいるのではなくて、新しいバイトが入ってきたりベテランがやめていったりするけれど、全体としては「ジャスコ」を保っている。


これと同じように人間も体の中でうまくやっている。


では「がん」というのはどういうかんじか?



ある細胞が「エラー」を起こす。グレる。変質してしまう。そして、


・適切な人数 → を、守らない。異常に増え続ける。

・適切な専門技術 → を、持っていないのにそこにいる。

・定期的に新陳代謝 → しない。なんなら死なない。


となる。最後さらっとおそろしいことを言ったが、がん細胞というのは寿命がないのだ。人間社会に登場するヤクザやマフィアも不死とまではいわないことを考えると、がんというのは人体における「不死のヤクザ」でありヤバさが際立っている。




そして、これらの三つの特徴に加えて、がん細胞がもっとも人体にとって迷惑な点がある。それは何かというと……


・各自の持ち場を離れて縦横無尽に動き回る


ということだ。これを専門用語で「浸潤(しんじゅん)」と呼ぶ。また程度がひどくなると「転移」を引きおこす。ジャスコの中で異常に増えたヤクザが近隣のパチンコ屋とかイトーヨーカドー、警察署、学校などにも出没するということだ。こうなるとジャスコが崩壊するだけでは済まない。町があぶない。




さいしょの三つの特徴、


・適切な人数 → を、守らない。異常に増え続ける。

・適切な専門技術 → を、持っていないのにそこにいる。

・定期的に新陳代謝 → しない。なんなら死なない。


を、それぞれ、「異常増殖」「異常分化」「不死化」と呼ぶのだが、実はこのようながん細胞の特徴は、「そうとうに面倒」ではあるのだけれど、「制御できないわけではない」。


ざんこくな想像をしてほしい。ジャスコの中でだけヤクザが増えて暴れまわっているというならば、最悪、ジャスコに爆弾を落としてこっぱみじんにしてしまえば町は救える(ひどい)


でもこれを本気でやるのが「手術」だ。こっぱみじんにはしないけれどまるごと体から取ってしまうわけだ。


しかし、「がん」が持ち場を離れて勝手に移動する「浸潤」や「転移」をしはじめると、ジャスコを爆破しただけでは話はおさまらない。




ここで考え方にぐっとアレンジを加える必要がある。


「ジャスコの中に留まっているヤクザ」と、「町中に広がったヤクザ」では、取り締まり方を変えなければいけない、ということだ。ジャスコの専門店街の一角にあるアクセサリー屋にだけヤクザがいるならばその店をつぶせば平和は戻るし、町中にヤクザがいるならば爆弾で町ごと焼き尽くすことはできないので別の手段を考えなければならない(たとえば、ヤクザだけを殺す特殊な水を上水道に混ぜるとか。こっわ!)。


「がん」と一言でまとめるのは危険だ、ということだ。どれくらい進行しているか、どこにどういう性質で隠れているか、場合によって対処がかわってくるというのはそういうことである。





こんなとこかな。引き続き当ブログ「脳だけが旅をする」をよろしくお願いします。何度でもやります。