「正月のゲシュタルト」みたいなものがあるなあ、と感じていた。ただし今日は正月ではなく1月10日なのだが。誤差10日くらいなら許容されるであろう。
札幌に40年以上住んでいるぼくの感じる正月っぽい雰囲気というのはおそらく、「積雪+日差し+人の少なさ」から醸し出されている。家にいると窓の外からの日差しが、視覚的には強く、触覚的には弱く体感される。雲一つない晴天に、路上の雪からの照り返しが加わって、盛夏なみに明るくて思わず目を細めてしまうほどなのに、光自体の持つエネルギーが弱くて室内はまるで暖まらない。さらに田舎の正月というのは人間がだいたい引きこもっているので車の音がせず、排気ガスも漂わず、お年玉の計算に余念がない子供たちは家にいて、外から音が一切聞こえてこない。
視覚:超明るい
聴覚:何も聞こえない
触覚:寒い
嗅覚:冷えた鼻の孔を通る冷たさで誤認するミント感
味覚:朝に食べたきなこ餅のなごり
第六覚:先祖の霊
だいたいこんなとこだろう。今日は正月でなく1月10日、北陸では豪雪に何万人もの人々が悩まされ、東京では感染症への恐怖がじわりと高まっており、ツイッターには尊いマンガが並んでいてぼくは『めしにしましょう』を布団の中で読んでいる。窓の外からは目に痛いほどの光が飛び込んでくるのに部屋はいっこうに暖まらない。看護学校の試験の答案を採点しなければいけないのだ。こんなことをしている場合ではないのだ。