2021年1月12日火曜日

病理の話(493) 豚バラ実験顛末記

一般にモウチョウと呼ばれている病気……「虫垂炎」というのがある。

おなかの右の下あたりにある虫垂という「しょぼいぶらさがり」(ただし機能がないわけではない)の部分で炎症が起こり、痛む。

ほうっておくと炎症を起こした虫垂が破れてしまい、内容物……つまりウンコ……がおなかの中にばらまかれてしまって激しい炎症を起こすので、医者は虫垂炎かなと思ったら「画像診断」を用いて、虫垂がいまにもやぶれそうなのか、それともまだけっこうぴんぴんしているのかを判断する。

このとき、CTを使ってもいいが、エコー(超音波検査)がけっこう便利である。エコーけっこう。



エコーは、T字型のプローブ(探触子)をおなかにあてる。イメージとしては超ちっせえクイックルワイパーをおなかにべとっと当ててる感じだ。違うけど。クイックルワイパーの先端のひらべったいところから超音波が出る。超音波は別に体に悪い影響を及ぼさない(所詮は音だ)。ただし眼球には当てないほうがいいと言われている。眼球もろいからね。

超音波がおなかの中を進むといろいろな物質、あるいは物質と物質が接する部分で散乱や反射、屈折などを起こす。このうちうまいことクイックルワイパーのほうにモドッテクルオンパー(戻ってくる音波)だけを、プローブが受け止めて画像をつくる。

で、モニタには、基本的に白黒の画像がうつる。



虫垂というひょろい構造物は、うまく描出できるとモニタの中でも細長くうつる。で、この虫垂に激しく炎症が起こって、虫垂のまわりにある脂肪の中に炎症が及ぶと、周囲の脂肪の部分が「白っぽくぼやあっと目立つようになる」。



エコーをあてて、虫垂の周りの脂肪がぼやあっとなっていたら「やばい」。炎症がけっこう激しいなーと判断する。まあほかにも判断の方法はいっぱいあるんだけど、今日はこの「ぼやあっ」の話をしている。



なんで炎症がおこると脂肪の部分の超音波画像が「ぼやあっ」と変化するのか?


「それは、炎症によって、周囲の血管から水がしみ出てきて、脂肪細胞のあいだに入り込むからだ」とぼくは教わった。

昔のぼくは、この時点でちんぷんかんぷんであった。

読んでいるみなさんもちんぷんかんぷんかもしれないがもう少し付き合ってほしい。もうすぐわかる。




ここで、脂肪がイメージできないとめんどうなので、ラーメンどんぶりのスープの表面にういた泡を思い出してほしい。あのプルンプルンの円形の油膜が、球状になってぎっしり詰まった状態。これが腹部の脂肪のイメージそのものである。

球状のアブラがぎっしり詰まっているのが、「炎症のないときの脂肪」。

炎症によって水気が増えると、ラーメンどんぶりの脂肪プルンプルンの間に水が流れ込む。

「脂肪と脂肪の距離が開く」




これが超音波の画像を変化させるのだと教わった。ほかにもいっぱい理論があるけど今日は置く。




で、ぼくはこの、「水気が脂肪の間に入り込むと超音波画像のぼやあっが出る」というのがよくわからなかったので、かつて、ある技師さんと協力して実験をしたのだ。




豚のバラ肉を買ってきて、バラ肉の脂肪の部分に、注射器で水を入れる。



そのバラ肉を超音波で見る。すると、水を注射した部分だけ、エコー画像が「ぼやあっ」とするのだ。


バラ肉だぞ? 生きている人間に注射したわけではない。生体反応が一切ないはずなのだから、この水がやはり「ぼやああっ」の正体だということはわかる。



で、次に、注射器で入れる水を、墨汁に変えてみた。



水を入れたときとまったく同じように、墨汁を入れてもやっぱり、エコー画像は「ぼやあっ」となる。


ただし墨汁のあとはもう少しいいことがある。豚のバラ肉を病理検査技師さんにお願いしてプレパラートにしてもらい、そのプレパラートを顕微鏡で見ると、脂肪細胞と脂肪細胞の間に墨汁が入り込んでいることがはっきりわかった。






と、まあ、こういうことは、別にぼくが実験なぞせずとも、すでに(理論が)教科書に書いてあることではあるのだが……。

実際に豚バラ肉に注射してプレパラートまで作った人はいなかったので、これを実際にやってみることで、多くの人に「なぜ虫垂炎のときに周囲の脂肪がぼやあっとするのか」を説明しやすくなった。





豚のバラ肉をプレパラートにしてくれた技師さんには、あとで六花亭のお菓子をあげた。安いくらいだなとは思った。





※以上の内容は下記の論文の一部で使っている内容とおなじです。