2021年1月14日木曜日

病理の話(494) 極意

病理医にもいろんな人がいて、個性というか振れ幅が存在する。特に、SNSだと極端な例ばかりが目につくので、一般の方々に対する病理医の印象も、わりと極端になる。

……それをお前が言うのかよ(笑)、と言われそうだが……。



なぜSNSでは極端な例ばかりが目につくのか?



それは、多くの人間が、「いつもと違うものを見たときに言葉にしたくなる」からだと思う。このとき、言葉にするというのはツイートするという意味だけではなくて、リツイートやいいねをすることも含める。

平凡、日常、よくあること、平均的なこと、些細なことは、いちいち言葉にしないし、人に見せようとも思わない。





しかし、医療をやっていると、さらには病理診断をやっていると、この「いつも目にするもの」をきちんと言語化し、「些細な違和感」にすぐ気づけるようにしておくことが、とても大事だなと思う。




たとえば、「圧倒的に貧血の人」の検査データなんてものは、医学生でもすぐに解釈できる。

「あっ赤血球がぜんぜん足りないぞ、ヘモグロビンの値もおかしい、UNが高値だ、これはきっと消化管から出血してるんじゃないか!」

てな感じだ。

「突き抜けた異常」は判断がしやすいので、悩まない。何がどう異常なのかと細かく説明するには知識が必要だけれど、「おかしい!」ということ自体にはすぐ気づける。




一方で、「特に病気がない人でもよく目にする程度の、ごく軽度の異常」を示す検査データの解釈はとても難しい。

「好塩基球だけが微増している、ごく軽度に貧血の人」

を目にしたときに「あれっ」と思えるかどうか。むしろこっちに知恵と経験が必要だ。

「白血球の総量が増えていないし、分画も好塩基球以外はほとんど狂ってない……というかほぼ正常範囲……だけどよく見ると好塩基球以外もいつも目にする比率とは微妙に違うな……? これ、造血機能に何か異常があるのかな……?」

このような観点で「ヒントをひっかけて」、「深く思考するためのフタをあける」。これができるかどうかが、鋭い診断(あるいは治療)の役に立つ場合が、年に数回ある。




(※なお上記の好塩基球の例はあくまで「例」であって実際の症例を元にしたものではありません。というか実際にはもっと数多くのパラメータを同時に見ないと判断できない)




病理診断でもそういうことがある。

普段みている大腸粘膜と何か違うな……

いつもの肝生検と違ってぼくが一瞬顕微鏡を動かすのを止めてしまうのはなぜだろう……

がんはない……がんはないのに、なぜこの胃粘膜、おかしいと思うのだろう……




これは、「異常な細胞があるとわかったあとに、その細胞がAなのかBなのかを決める」のととはそもそも思考のタイプが異なる。

異常があるかどうかまだわからない段階。

あきらかな異常とは言えないんだけど、「ひっかけておく」とあとあと患者や医者にいいことがある、という段階。

この時点での診断制度を高めるために必要なのは、異常Aや異常Bの形を丸暗記するタイプの勉強ではなく、「正常の振れ幅」を取得するタイプの勉強だ。どうしても経験が要る。




そして、みんながみんな、全ての臓器に対して十分に経験することはできないからこそ、「やや言語化するのが難しいが、ぎりぎり言語化できてしまう、職能に応じたテクニック」というものが存在する。ブログだと書き切れないけれど、あえてひとことで言うと……。




「臨床医と仲よくして、常に他者の経験を外挿できる状態を保ちつつ、毎日丹念に顕微鏡を見る」



これしかないんだよな。まじで。