夜明け前に車のエンジンをかけて出発する際に、うっかり何の対策もとらずにワイパーを動かしてしまうと、窓にがっちり凍り付いてしまったワイパーが、有声音で悲鳴をあげる。運が悪いとワイパーのゴムがちぎれたり根元のギアがかけたりしてしまう。
夜中の間に降った雪が、帰宅後しばらく熱をもっている車内によっていったん溶かされて、それから再び凍り付く。だから、早朝はまず窓の氷を落とさないといけない。デッキブラシの甥っ子みたいなスノーブラシを使ってガリガリと窓を削る。フロントガラスの遠いところをしっかり削っていると、知らないうちに車の側面にコートが触れていて、雪がべっとり、なんてこともしばしばだ。
それが札幌の冬。
ただし、所詮は札幌の冬でしかない。
札幌の冬でマイナス10度を下回るということは、実はあまり多くない。上記の車に関するトラブルはせいぜい最低気温がマイナス5度くらいの時期に頻発する。ただし、北海道の内陸ほどではないにしろ、札幌でも強烈な寒波がくると夜間や早朝にマイナス12度くらいまで気温が落ち込むことはあって、そういう日は、少々状況が変わる。
朝、家から出ると、空気がやたらと澄んでいて、遠くの信号まではっきりと見通せる。ああ、厳冬期だ、と視神経が記憶を掘り返してくれる。気温がとことん下がると大気に含まれる水分量も減り、透明度が上がる。ほとんどの人が気づく。ああ、われわれは、普段は水の中で生きていたのだ、と。
「温痛覚」という言葉を思い出す。この場合、「冷痛覚」と呼ぶべきかもしれない。寒さは痛さと区別が付かなくなり、手袋なしで金属に触ると皮がはげるのではないか、という、経験した覚えはないはずなのだが経験し終わっているかのような、遠い記憶に悩まされる。
そして車のフロントガラスに積もった雪を削る必要が無い。ワイパーを一閃させればすべて吹き飛んでいくようになる。凍り付いていないのだ。なぜなら、昨晩帰宅してエンジンを切ったあと、車内の室温は急速に低下して、ガラスに残った余熱もほどなくしてなくなり、夜間に降った粉雪がサラサラのまま、一切固着せずにガラスに乗っているだけになるからだ。パウダースノーってこれか、と、スキー場以外で感じられるようになる。
サイドのガラス4枚についた雪を落とすのにも、スノーブラシを使う必要はない。車のドアを開けてしめればいい。「バタン!」ですべて落ちる。
やたらときらきらひかる、信号と朝焼けの中を職場に向かう。路面は凍結しているのだが、水気がほとんどなくなっているせいか、織田裕二が昔CMで言っていた「氷じゃなくて水で滑るんだ~」の言葉の逆、すなわち、日ごろよりも滑らなくなっているように感じる。もちろんそろそろと走らせる。でもどうせこの時間、ほとんど車は通っていないのだけれど。
車内のエアコンが温風を吐き出すまでの時間が長く感じる。自分の吐いた息で視界が曇らないように気を付ける。
職場の駐車場に着くと珍しい光景を目にした。
こんな風景、そうそうみるものではない。よく車にひかれて粉々にならなかったものだ。
北海道では「マイナス」という言葉が省略される、という話がある。若い人の間ではあまり聞かない。しかし、釧路や根室、網走、そして北見といった酷寒地域に住む友人は今でも「冬は20度超えてからが本番だよな」みたいな言い方をする。
ぼくがつらつら書いてきたのも、所詮は「10度の世界」の話だ。
まだまだ、「冷えには冷えがある」。もっと清浄な世界に生きている人たちもいる。ぬくぬくと記事を書いているぼくは平和である。