2021年1月4日月曜日

そういう仕組みになっている

ノートPCにBluetoothで外付けキーボードを接続し、モニタから顔をなるべく話して、椅子の背もたれに背中をきっちりあずけた後傾姿勢でキータッチをする。そうしないとぼくのストレートネックは頭蓋の重さを支えられなくて、左腕に頚椎症のしびれが出る。頸椎の角度を意識して自分の姿勢をコントロールすることで、ようやく長時間文章を打てる体を取り戻した。20代のときにはこんなこと考えもしなかった。


ここ数年はこの「キーボードを引き離すスタイル」でやっている。


今こうして実際に打ち込んでいる外付けのキーボードをじっくり眺めてみると、PCに並行には置かれていないことに気づく。振り返ってみれば、右か左、どちらかにななめに傾いている。日による。一日の中で持ち替えて場所をチェンジすることもあった、そういえば。


キーボードをやや左側に置いているときには左足を組むことで、上半身と下半身が逆側にねじられる。キーボードを右側に置いているときは右足を組む。このクセを、今さら認識してみている。


意図的に姿勢をコントロールしている部分と、無意識に体が調整されている部分とがある。人間の体って、こんなに左右対称に作られているくせに、日中わりと右に左にゆらゆら揺れて、重心をばらけさせているんだなあと感心する。


指先とPCモニタが連動している感覚はない。脳で文字を書いている。ときおり体をぐぐっと前掲させて、胸の下でキータッチをするときは、脳の深いところにあるよく見えない隅の部分に手を差し伸べてゴソゴソと探し回るようなイメージで言葉を掘っているし、椅子のリクライニングバーを解除して、背もたれを倒し、キーボードを太もも側に引き寄せて天井のほうを向きながら一気に文章を書くときは、脳の高いところにあるぼんやりとした部分に結んだ凧糸を引っ張るようなイメージで言葉をたぐり寄せている。


ぼくはよく、考えるときに目が右上や左上の遠いほうを向いている。その方向にたまたまあるものを見ているわけではもちろんなくて、単に、「脳内にある自分の目」がキョロキョロと開けるべき引き出しを探しているのと、実際に体についている目の向きとがうっかり同期してしまっているだけである。


先日から職場のデスクの一角に幡野さんの写真を掛けているのだが、顕微鏡を見てから考え事をするときに目がたまたまそちらの方角を向くことがある。写っている小さな人影、白い風景、けむりのようなもの、石のような雪のようななにか、その中にいつしか自分も立っている。考え事が中断し、写真の中に自分と息子とが立っている。それをぼくは顕微鏡の手前で見ている。ぼくと息子が立っているところを顕微鏡の前で見ているぼくを見ているぼくが手を伸ばしたものが指先に届くころにぼくは体の向きを変えてキーボードに指を乗せると、掘り出したりたぐり寄せたりした文章がモニタに出てきて、本登録を押すとそれが臨床医の手元に届く。そういう仕組みになっている。