2020年12月30日水曜日

病理の話(490) 口から入ってきたものは敵と認識せず攻撃しないことにしましょう宣言

ほむやアポストロフィ(’)に聞いた話の受け売りなんだけど、人間ってすげえなーと思う仕組みのひとつに「経口免疫寛容」というのがある。


熟語がみっつ組み合わさっているのでわかりにくい言葉だが、すごく単純にわれわれの日常ことばに翻訳するならば、


「口から入ってきたものは 敵と認識せず 攻撃しないことにする」


という意味のことばになる。




人間の体をほかと隔てているものといえば、皮膚だ。自分の腕の皮をひっぱってみよう。お腹の皮でもいい。この中がぼく、この外が世界。そう唱えながら。


人体は実際にそのように考えているふしがある。皮膚に傷をつけて侵入する外界の物質、たとえばバイキンとかウイルスの類いは、皮膚の中から下あたりにある様々な細胞が認識して、「ただごとじゃないな、お前、敵だろう」と判断してボッコボコに攻撃する。


このボッコボコのときに「炎症」が起こり、腫れ上がって、赤くなって、熱くなって、痛みが出てくる。戦いが起こっているわけだ。


で、この防御システムは、皮膚をやぶって入ってくるもののうち誰が敵か味方かみたいなことをなるべく区別しようとがんばるのだが、いいかげん侵入者が多いと、どれが敵かを判断しきれなくなる。


肌荒れを持っている小さなお子さんや、手に切り傷をつけたまま働いているシェフなどの「荒れ・傷口」(皮膚の抜け穴)から、バイキンやウイルスだけではなく、小麦粉とかオサカナの成分などが入り込むと、「ええいめんどくせえ、お前らも敵だろう」と判断して、人体は小麦粉やオサカナの成分も敵だと記憶してしまう。


すると、そのお子さんやシェフがのちに、「口から小麦粉やオサカナを摂取しても」、人体は「こいつ前に皮膚から入ってきたやつだぜ」と判断して、変わらずに攻撃を発動する。この過剰な反応が「アレルギー」と呼ばれ、人にさまざまな症状を引き起こす、というのだ。




まあ実際、よく出来ていると思う。皮膚という国境を越えてひとたび侵入したやつは、小麦だろうが卵だろうがオサカナだろうがみんなお尋ね者だ。そいつが口からしゃあしゃあと入国してきたらやはりマシンガンをぶっぱなす。これは国防としては(過剰だが)理解できなくはない。




そして人体がすごいなーと思うのはここからだ。いつまでも外界のすべてを排除していては厨二病……じゃなかった、それだと栄養すらぜんぶ攻撃して打ち倒してしまう。だから人体においては、外界のすべてを排除する皮膚とはべつに、「我々にとって役に立ちそうなものだったら入って来てもいいよ」と、寛容する(ゆるす)システムがそなわっているのだ。それを担当するのはどこか?


口の中! そして、胃腸! なのである。


人体がこのような「味方を区別するシステム」を口に用意しているというのはめっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっちゃくちゃにかしこい。


「あ、だから舌が味を感じるんだ!」


とぼくは腹オチ・手のひらポンした。とりあえず口に入れてみて、まずかったらペッと出す、ここでとりあえず雑多に敵味方をよりわけていたんだな。


そして、口に入れてなんかおいしいなーと感じたらそのまま飲み下す。舌や胃腸の粘膜に接し、その後吸収された食べ物に関しては、「こいつらは味方なので今後通しても大丈夫です。」という指令を出し、それが全身の免疫細胞によって共有される。


これが経口免疫寛容、「口から入ってきたものは 敵と認識せず 攻撃しないことにする」である。マーなんともうまくできたシステムだ。ほれぼれする。