2020年12月23日水曜日

毎ペース

「少し無理をして継続している趣味」みたいなものが、かつてのぼくにはいっぱいあった。

30代前半のころ、毎週火曜日や木曜日あたりで飲みに行っていた。仕事が早く終わる日を週に一回作ろうと心に決めて、その日は5時過ぎに職場を出て、そのまま徒歩でススキノに向かう。だいたい30分でススキノの中心部に着くので、まず吉野家に入って牛丼の大盛りと玉子を食う。腹を満たしたらなじみのバーに向かい、今日はジンにします、あるいはテキーラにしますと、ひとつ酒の種類を決めてカクテルを作ってもらい、数杯ほど飲んだら家に帰る、というのをしばらく続けていた。

これはぼくなりの抵抗であり背伸びであった。ぼくは仕事だけに明け暮れているわけではないのだと自分で自分を認めたかったし、こうやって決め事をしないと無限に職場に居続けてしまって、それがいい加減つらくもあった。

その頃のぼくはすでに他人と飲むことがおっくうになっていて、とにかく一人でやれることがほしかった。一人居酒屋からはじめたのだけれど大将や隣の人が話しかけてくることが数度あってめんどうになってやめた。バーのほうが気楽だった。20代によくウイスキーを飲んでいたのだが、これだと金がかかりすぎる、カクテルなら安いとは言わないがまだそちらのほうが値段は控えめだし、何よりたくさんの味が楽しめてうれしかった。

ある日、いつものようにススキノ方面に歩いて行く途中で、「今日は吉野家じゃなくてラーメンにしよう」と思い立ち、入ったことのないラーメン屋に立ち寄り、しょうがの効いたみそラーメンを一杯食ったら、何もかもどうでもよくなってしまい、そのまま近くのコンビニでビールを買ってタクシーをつかまえて家に帰った。家で飲んだビールはうまくて体に優しかった。それ以来、毎週バーに行くという「無理をした趣味」からは遠ざかっている。

あれはいったい何ブームだったのか。今でも思い出す。

バーは敷居の高い場所でもなんでもない。行きたいと思ったら行けばいい。わからない酒は聞けばいい。感染症禍で外食ができなくなってはや7か月、友人のやっているバーが気になっていないといえば嘘になる。でも、コロナを言い訳にするのは間違いで、バー自体にここ3年ほど行っていないのだからほかに理由があるのだろう。「いつか巨額の金を落としにいきますよ」とうそぶいたままなんとなく足が遠ざかっている。たぶんこのさき40代の後半になったら、宿り木をもとめてうちから歩いて行くことだってあるだろう。でももう「定期的に」ということはないのだと思う。

酒に限った話ではない。人生とか趣味というものはそれくらいのスパンで考えてくれないと、とぼくにとっては窮屈でしょうがないのだ、毎日とか毎週とか、毎月とか、「毎」がついた途端にぼくは何もかもが面倒になる。酒だけではない。釣りも、キャンプも、スキーも、ゲームも、YouTubeだってそうだ、ぼくは不定期でなければ続けられない性分になっている。

このブログ、毎日更新しているじゃないかとつっこまれるかもしれないから、念の為おことわりしておこう。今日書いたのはこの記事だけではない、昨日の記事もおとといの記事もすべて今書いたものだ。そうやって世間をだましてやっている。毎度お騒がせしております。