2020年12月14日月曜日

病理の話(484) 細胞の自爆戦術

秋田大学の総合診療・検査診断学講座のホームページがおもしろい。


http://www.med.akita-u.ac.jp/~gimclm/research.html 


人体の中に存在する「はたらく細胞」のひとつである、「好酸球」を相手に、ここまで深く……というか、なにより、ここまでおもしろく科学エッセイを書けることがすごい。仮にも大学の診療部かつ大学院の研究講座のウェブサイトにこれを載っけるには多くの信頼と筆力が必要だ。感動する。


さてここに書かれている内容はどれもいいのでぜひじっくりとご覧いただきたいのだが、今日かんたんに取り上げるのは、好酸球ではなくて「好中球」のほうだ。


講談社から出ているマンガ「はたらく細胞」では、好中球が主人公的ポジションにいる。

好中球は、人体に敵が侵入してきたときの第一歩が早くて、まっすぐターゲットに向かって行って殴りつけ、さらにはその一部をバリバリと食べてほかの炎症細胞たちの到着を待つ。

今のはマンガ内での表現だが、実際に人体の中で起こっていることそのものである。非常によいマンガなのでみんな読んでみてほしい。


しかし、上記の秋田大学のホームページにもあるように、好中球の働き方はどうやらそれだけではない、ということが知られている。まだマンガには反映されていないようだ。以下にその「新たにわかった好中球の働き方」を解説する。


ぼくら病理医が顕微鏡で、好中球がバイキンと戦う様子を眺めていると、「好中球はもろいなあ」という感想が自然と出てくる。「おもろいなあ」ではなく、「脆(もろ)いなあ」だ。

なぜなら、好中球は炎症が起こると大量に登場するが、すぐにバイキンと「心中」してしまうからだ。マンガだと何話にもわたってずっと主人公なのだが本当はすぐ死ぬ。特攻部隊、あるいはカミカゼのイメージなのである。

一節によれば好中球は組織内での寿命が2日しかないとも言われている。だから「急性炎症」のマーカーとして用いられる。


ただ、好中球がすぐ死ぬのは、必ずしも「もろいから」だけではなくて、そこには生体のこまやかな計算と機能があるようだ。

好中球は、自分の中にあるネッバネバの物質を自爆によって放出し、周りにあるものたちをそのトラップで絡めとって動けなくする、という機能を持っている。つまりは弱いから死ぬんじゃなくて戦略的に自爆する。その名も「細胞外トラップ死」という機能。


これが非常に特殊であるということは、顕微鏡を見ているとピンとくる。

ためしに、好中球以外の細胞が死んだ「痕跡」を顕微鏡で見てみよう。そこには「うっすらとした残骸」しか見えない。病理医がしばしば「ゴースト」と呼ぶ、輪郭がぼやけていて細胞核が存在しないモヤモヤモンヤリとした塊ができる。これが一般的な細胞死のひとつ、「ネクローシス」の末路だ。

また、ときに、アポトーシス、あるいはプログラム死と呼ばれる細胞死の場合には、細胞がキューンと縮んで濃縮してその場で消えていく、という痕跡がみられることがある。ネクローシスがゴーストならアポトーシスはブラックホールみたいな消え方をする。この2つは病理医であればしょっちゅう観察している。

ところが、好中球の場合は、ネクローシスともアポトーシスとも少し異なる死に方をしている場合が確かにある。好中球が死んだあとに、うっすらとした残骸ではなく、一点に凝縮したキュン死でもなく、「明らかに元は核だったと思われる色」をした物質が絡み合った毛糸のようにはじけている、「核塵(かくじん)」と呼ばれる像を呈することがある。

ぼくはこのことを今まで特に不思議とも思っていなかったのだが、よく考えると、「なぜ好中球だけは核塵を残すのか」?

「ほかの細胞は薄くなって消えたり一点消失したりするのに、なぜ好中球の場合は漁師町の海岸に放置された古い地引き網みたいな形状で死ぬのか?」


これがつまりは「細胞外トラップ死」を顕微鏡で見ていたということなのだろう。好中球は死ぬときに、核の中に含まれているネバネバ(実はDNAである)を網にして、周りの物質になげつけるという、ウソップも驚くような頭脳戦略をとることがある。そのネバネバで何かを辛み取ったときに見えるのが核塵なのだな。たぶん。



「自爆したら周りの物質がからめとられるから便利だ」みたいなことを好中球が逐一考えているわけではなかろう(そうだったら怖い)。


じゃなくて、「自爆したらたまたま周りの物質を絡めとってしまうタイプの細胞を持っていた生命が、いろんな意味でうまく生き残った」と解釈するのが妥当なんだろう。




なーんてことを考えながら冒頭のホームページを読むとおもしろいです。

好中球の話は注釈として小さい文字でちょっと出てくるだけで、くだんのホームページの主人公は好酸球なんだけど。


http://www.med.akita-u.ac.jp/~gimclm/research.html