2020年12月16日水曜日

病理の話(485) 5Gにならないと使えない

プレパラート。


顕微鏡で見るガラスのこと。


これを今は、「ホール・スライド・イメージング」(Whole slide imaging; WSI)と言って、すべてスキャナでとりこんで、PC上で見られるようにするというのが流行りだ。

ホールというのはケーキのホールと同じで、「全部」を意味する。スライドというのはプレパラートのこと。全プレパラートを画像にする。そのまんまだ。


顕微鏡いらずでPC上で診断をすることには利点と欠点がある。でもまあ、これからはどんどんそうなっていくだろう。顕微鏡で「しか」診断をできないと言っていた人たちも、感染症禍でZoom会議が当たり前になって、みんなで一緒に顕微鏡を見ることが難しくなり、かわりにZoomの画面上でPCデータを共有するようになったら、結局みんながWSIを使い出した。ほら、使ってみれば簡単なのだ。変化してしまえばそれが当たり前になる。


ところが……いざ、多くの業務をWSIにしてみると、けっこう大変なことが多くて、日常的に病理医が苦労することも増えた。


まずWSIスキャナの値段。だいたい800万とかする。そして大量の取り込みデータを補完するためのハードディスク。ぶち壊れたら大変なことになるので基本的にはクラウド運用するのだが、テラバイトレベルでないと容量が足りない。保守管理費用を含めると、ひとつの施設で年間に1000万くらいのランニングコストがかかる。


となるとうちの病院(市中のいち中核病院)では導入ができません。なのでぼくの手元にはWSIスキャナがありません。すみません。多方面にご迷惑をおかけしております。


こんな高額な機械を入れたところで病院の収益にはあまり寄与しない。なぜならWSIにしたからといって診療報酬(患者と国からもらえる医療費)が増えないからだ。ぼくらがただ便利になるという理由だけで病院が高額な何かを仕入れてくれることはそんなに多くない。ないわけじゃないんだけど今はどこの病院も信じられないくらいの赤字なので(うちなんか関連施設全体の損益を計算すると月に○○億の……いやこれはやめておこう)、収益が増えないような投資は当分の間できないだろう。しょうがないと思う。


というわけで、ぼくがWSIを使いたいときは、連携している大学や知人の施設などに頼んで、「ここぞ!」という症例のプレパラートを郵送し、先方でスキャンしてもらって、デジタルイメージにする。


先日も、とある症例のプレパラートをデジタルデータに変えてもらった。先方は快く引き受けてくれて、データをDropboxに入れてくれた。それをダウンロードすればぼくのPCでも使える。

ところがそのダウンロードが毎回スムーズにいくわけではないので困るのだ。個人情報は消去しているけれども患者由来のデータだから、個人のPCではなく職場の回線を用いて職場のPCにダウンロードしなければいけない。たかだか10数枚のプレパラートにもかかわらず4GBを超える容量があって、途中でダウンロードがうまくいかなかったりする。職場のファイヤウォールがきつめであることも理由のひとつだろう(病院のセキュリティは強い)。そして、なによりべらぼうに時間がかかる。


なぜあんな小さいプレパラートをスキャンするとそんなに大容量データになってしまうのか? それは、プレパラートをスキャンするときには「高倍率で全視野を保存」しなければいけないからである。顕微鏡で600倍に拡大した視野と同じレベルの拡大ですべてを保存しないと、単に遠目にスキャンしただけでは、拡大に堪えない。ぼくらはしばしば、髪の毛の太さ(約80マイクロメートル)の20分の一しかないような好中球の、しかもそれが崩壊したときに現れる核塵、つまりは2マイクロメートルくらいの物質を見極める必要があるわけで、それをプレパラートから読み込もうと思ったら、それはそれは膨大なデータ量になる。おまけに全視野読まないと意味がないからね。


ダウンロードが不便な場合、施設によってはクラウド上にデータを保存していて、ダウンロード抜きでウェブ上でプレパラートのデータが展開できるようにしているのだけれど、そうなると今度は通信速度によって表示に遅延が出る……。


結局、デジタルデータで診断をしようとすると高速回線は必須。ましてiPadでやろうと思ったら5G回線がなければ仕事にならない。プレパラートならちょろっとワレモノ注意のシールを貼ってクロネコヤマトで送ればそれで済んでたのになあ、なんて言いながら、ダウンロード待ちの時間にちまちまツイッターで暇を潰していたりする。




ところで、マンガ「フラジャイル」のタイトルの由来が、本当はなんなのかをぼくは知らないが、海外にプレパラートを送るときに「ワレモノ注意」として貼るシールに「FRAGILE」と書いてあることから、なんとなく、「脆弱なものに人間の命をかけている」、みたいなニュアンスをタイトルに込めたんだろうなあ、みたいなことを考えたことはある。ではフラジャイルなガラスを使わなくてよくなったら病理診断は強固になるかというと、決してデジタルデータのほうが強いなんてことはなくて、究極的なことを言えば、どれだけ強固なモノを使ったところで診断するのはぼくらの弱っちい脳なわけだし、せめて回線速度を高め、脳の演算速度も高め、どうにかこうにかやりくりして、ようやく「弱い命」を強く考えるための手段を得る。なにやらぼくらは昔も今もこの先もそういう風にできている。