「これ、どれががん細胞なんですか?」
研修医に質問をされ、一緒に顕微鏡を見る。
あ、一緒に顕微鏡を見ると言っても、ほっぺたをくっつけて一台の顕微鏡のふたつの接眼レンズを片目ずつキャッキャウフフとシェアするわけではない。同時に複数人がみられる「ディスカッション顕微鏡」というのがあるのだ。
さて、顕微鏡を使って細胞を拡大しよう。そこに見えるのは「細胞一個」ではなくて、細胞どうしが大きな構造を作り、水分や粘液、線維などとも混じり合ってできる「組織」だ。町を上空から俯瞰するような気分で視野全体をスキャンする。このどこかに「ヤクザ(がん細胞)」が紛れ込んでいる……と、かつてのぼくは診断し、病理診断報告書に「がん細胞がいる」と書いた。
研修に来ている若い医師は、過去の診断書を検索システムでチェックし、自分が勉強したい病気の名前を探し当ててプレパラートを引っ張り出した。だから、この視野の中には確実に「ヤクザ」がいるとわかっている。しかし研修医は「ヤクザ」が見つけられない。
組織内ヤクザ=がん細胞は、見た目がゴリッゴリに悪そうな姿をしていれば、研修医や医学生、なんなら中学生であっても「あっ」と気づくことができる。派手なリーゼント、そり込み、タトゥー、手に持っているマシンガン、あきらかな返り血などによって(実際には核の形状のおかしさや細胞質の違いなどによって)、顕微鏡を見た瞬間に、「絶対こいつ悪いやつやん」とわかる。
しかし、全ての「ヤクザ」がわかりやすいわけではない。世の中にはリアルヤクザのほかにもインテリヤクザ(IT関連の悪事を働くのだが街中では善良そうな顔をしている)、潜伏ヤクザ(基本的に隠れていて表に出てこない)、教授ヤクザ(説明省略)などがいて、見た目では「悪性」と気づきにくい場合がある。
ではエース格の病理医はこのような「わかりにくいヤクザ」をどうやって見つけ出すのか?
第一に、「勘」である。経験に裏打ちされた洞察。「いやそこに人がいるのはおかしいでしょ」みたいな感覚。
ただしこの「勘」はすべて後から言語化できる。できなければならない。
間違わないでほしいのだ。「勘で見つける」というのは「理論化できない見つけかたをする」とは意味が違う。「先に脳が異常を察知して、あとから理屈を説明できる」のだ。いわゆる「山勘」とか「直感」を、追いかけて分析して言語化できなければ、その勘には「再現性がない」(もういちど同じ場面に出会ったときに見つけられるかどうかわからない)ことになってしまう。それでは診断者としては三流だ。
たとえば……。
GUで買ったパーカーと中日ドラゴンズの野球帽をかぶった大柄な、しかし善良なおじさんが、夜の3時に埠頭のはしにある倉庫の前でタバコを吸っていたら、「見た目は善良そう」であっても警察官は職務質問をするだろう。
「お前なんでこんなところにいるんだ? こんな時間に……」
このとき、警察官に、「なぜ見た目が普通のおじさんに職務質問をしたんですか?」とたずねると、おそらく、
「まあ、勘だよ」
と答えるだろう。でもそこをさらにツッコんで質問する。「ど、どういうことですか?」
すると警察官は自分の勘を言語化するのだ。「確かに、見た目はよさそうに見えるけれどね、格好が普通であっても、居場所がおかしいとか、態度がおかしいとか、現れるタイミングがおかしいとき、つまりは振る舞いがおかしいときにはひっかけるべきなんだ。だってぼくらがやることは、まさに、『悪い振る舞い』を見つけ出すことなんだからね」
実は勘にも理論の裏打ちがある。しかし、それをいちいち言葉で説明するより先に脳が「あっ、おかしい」といったん結論付ける。そして「結論は間違いないけどいちおう、理屈も確認しとこうかな」と、認知のプロセスを巻き戻してあらたに副音声解説を付ける。その解説が付けられない場合は「ほんとうにヤマ勘」なので、他人を説得するにはいささか論拠が足りないということになる。
病理医というのはこの「勘を言語化する仕事」をする。AIが担当できるのは「勘」までだ。AIの普及によって病理医は勘を磨く場面が少なくなり、「他人の直感を代わりに解説する」といういささか困難な仕事が増える。個人的な感想だけれど、この、「AIによって下された直感を人が言語化する」という作業は、高度なゲームに似ていて大変おもしろい。はやくそういう仕事をいっぱいやってみたい。AIの進歩ってチンタラしてるから困る。早く普及しろよ。病理医は手ぐすね引いて待ってるんだよ。