2020年12月18日金曜日

病理の話(486) 英単語からみる症状と病気の歴史

医学用語の一部は、ギリシャ/ローマ時代に端を発する。昔、治療の方法は今とはまるで違ったけれど、少なくとも、「この人に何か異常が起こっている」ということは興味の対象となっていた。


たとえば、人類が「がん」と真っ向勝負できるようになったのは、せいぜいこの30年と言ったところだ。しかし、当たり前のことを言うようだけれど、治療法など一切なかった昔から「がん」はあったわけで、昔の人だってがんにかかった人に何が起こるかはしばしば経験していた。

ただし、胃がんや大腸がん、肝臓がんなどは昔の人にとっては直接手に取って見ようがない、知りようがない病気だった。体の中を覗く方法がないし、手術だってなかったからである。

見られなければ、名付けられない。

だから胃がんや大腸がん、肝臓がんなど、体内のがんを指し示す病名はもともと存在しなかった。

後年になって病理解剖が行われるようになって、ようやく、gastric cancer(胃の+癌)、colon cancer(結腸+癌)、rectal cancer(直腸の+癌)、liver cancer(肝臓+癌)と言ったように、病名がついた。これらはいずれも「○○(の)+癌」という二語構造になっている。いかにも後年になって機械的に名付けられた病気、というかんじだ。


これに対して、食べても吐いてしまうとか、肛門から絶えず血を流しているとか、体が真っ黄色になるなどの症状には古くから名前が付けられている。Vomit(嘔吐), melena(下血), jaundice(黄疸). これらは昔の人も十分に認識することができた病態であり、由来が古い単語だからか、「たった一語」で状態を表すことができる。


必ずしも絶対だとは言わないけれども、「なんだか小難しい一単語で病名が表される場合」、その病気は太古から人々に気づかれていたケースが多いように感じる。


昔も今も、皮膚の病気や病態というのは外から見ることができるので名前が付く。Psoriasis(ソライアシス)というみなれない不思議な単語は「乾癬(かんせん)」という皮膚の病気に付けられた名前だ。Verruca(ヴェルッカ)というのはイボのことである。Callus(カルス)は、タコ(医学用語では胼胝(べんち)という)。


逆に、内臓の病気そのものにはなかなか一語の名前が付かない。しかし全身に影響を及ぼすような病気だと古い名前が付けられている場合もある。Cirrhosis(チローシス)、肝硬変などはいい例かもしれない。


Sarcoma(サルコーマ)という古い単語がある。これは、「肉腫」をあらわすのだが、いわゆる体の表面付近にできる「がん」のことだ。普通、がんというと内臓にできそうだけれども、骨や筋肉、脂肪のなかにがんができることもある。体の外部から認識できるタイプのがんには古くから名前が付けられていたということだ。


Melanoma(メラノーマ)も古い。これは皮膚にでるがんの一種で、広い意味では肉腫、すなわちサルコーマに含まれるのだが、特別扱いされてひとつの英単語が当てられている。なぜならメラノーマはほかのがんと異なり、メラニン色素を含有し「黒い」のだ。事実、日本語では悪性黒色腫という。「見た目」が明らかに違うから、名前も別についている、と考えればいい。


なお、Cancer(キャンサー)という古い言葉は、日本語でいう「癌(漢字で書く)」にあたる。語源は「カニ」だ。カニの足のように周囲にしみ込み、カニの甲羅のように硬く引きつれるからその名がついたと言われている。さきほど、胃がんや大腸がんや肝臓がんは昔の人にとって見ることができなかった、と書いたばかりだが、実際には外から見られるがんもある。それは何かというと「乳がん」だ。


乳がんは発症年齢が比較的若く、昔の短い平均寿命であってもかかる可能性が比較的高かった。というか、昔の人にとっては、「乳がんだけが目に見えるがん」だったと思われる(メラノーマは黒いし、サルコーマはいろいろ理由があって肉々しい印象があったので、昔の人もまさか同じがんの一種とは思わなかったのだろう)。すなわち、Cancerという言葉は、もともとは乳がんが進行したあとの性状から名付けられた。今では乳がん以外の多くの「悪性・上皮性腫瘍」をすべてcancerと呼ぶが、たしかにどんな臓器から出るがんも、どこか「カニの足のようにしみこむ」傾向があるし、「線維化してガチガチに硬くなっていく」ことが多い。



昔の人だからと言ってバカには出来ない、むしろ、人間ができることの無力感に今よりもまともに向き合って、「せめて詳しく記載することでなんとか将来の人類の英知に希望を託した」のかもしれないな、と思う。古い単語の由来を追いかけていると、当時の人間の執念のようなものを感じることがあり、自然と背筋が伸びる。