「卓球の張本選手は、実はひとつスマッシュを決めるたびに悪霊を退治してるんだ。」
「あ? なに?」
「除~霊! ってね」
「あ? なに?」
みたいな会話があったとき。
一度目の「あ? なに?」と、二度目の「あ? なに?」は、たぶん発音の仕方とか、表情の作り方とか、全身の動かし方が違う。
……この「違い」は、日本語が母国語の人であればなんとなくわかってくれるだろう。
会話を文字にするとき、それを読んだ瞬間に頭の中で、「実際に人間がそれをしゃべっているときのイメージ・モデル」が組み上げられる。文字に書いていない情報が、すごい勢いで付け足されていく。
これがコミュニケーションの真髄だと思う。
「文字に書いていない情報」のほうが、なんなら文字そのものよりも情報量は多いなあ、と感じることはとても多い。
プロの俳優さんとか声優さんがセリフを読むとき、素人のそれと何が違うか。
声質とか滑舌とかそういうのももちろんぜんぜん違うんだけど、なにより、「文字の外にある情報を脳に喚起させる力」が段違いだと思う。
ところで、「プロの俳優さんや声優さんがセリフを読みました。」という一文には、「現場が感じたありがたみ」の痕跡があまり見受けられない。文字の外の情報というのは、確実に存在するのだが、文字で人に伝えるのがとても難しい。現場にいれば必ずわかる、「プロのすごみ」を、どう文字にしたらいいか……。
「文字にならない部分を文字にする」ということ。
なんだそれ矛盾じゃねぇか、と、字面通りに受け止めてもらっては、言外の情報がちっとも伝わらない。
身振り手振りが脳内再生されるような文章を書くということ。
それを、お互いに、やるということ。