2020年12月3日木曜日

福原選手は敬称を付ける

「卓球の張本選手は、実はひとつスマッシュを決めるたびに悪霊を退治してるんだ。」


「あ? なに?」


「除~霊! ってね」


「あ? なに?」




みたいな会話があったとき。

一度目の「あ? なに?」と、二度目の「あ? なに?」は、たぶん発音の仕方とか、表情の作り方とか、全身の動かし方が違う。


……この「違い」は、日本語が母国語の人であればなんとなくわかってくれるだろう。




会話を文字にするとき、それを読んだ瞬間に頭の中で、「実際に人間がそれをしゃべっているときのイメージ・モデル」が組み上げられる。文字に書いていない情報が、すごい勢いで付け足されていく。

これがコミュニケーションの真髄だと思う。

「文字に書いていない情報」のほうが、なんなら文字そのものよりも情報量は多いなあ、と感じることはとても多い。




プロの俳優さんとか声優さんがセリフを読むとき、素人のそれと何が違うか。

声質とか滑舌とかそういうのももちろんぜんぜん違うんだけど、なにより、「文字の外にある情報を脳に喚起させる力」が段違いだと思う。

ところで、「プロの俳優さんや声優さんがセリフを読みました。」という一文には、「現場が感じたありがたみ」の痕跡があまり見受けられない。文字の外の情報というのは、確実に存在するのだが、文字で人に伝えるのがとても難しい。現場にいれば必ずわかる、「プロのすごみ」を、どう文字にしたらいいか……。


「文字にならない部分を文字にする」ということ。

なんだそれ矛盾じゃねぇか、と、字面通りに受け止めてもらっては、言外の情報がちっとも伝わらない。

身振り手振りが脳内再生されるような文章を書くということ。

それを、お互いに、やるということ。