2020年12月4日金曜日

病理の話(481) 採り切れましたか

息を詰めてプレパラートを見る。


15枚。20枚。25枚。30枚……。


途中で呼吸を止めていたことに気づいて、大きく深呼吸をする。


外科医の顔がちらつく。


「採り切れればいいんですが……」





術前カンファで、この患者のことはよく聞いていた。


病変がかなり大きい。


すべて手術で切り取ることができれば、文字通り、「患者の命を延ばす」ことはできるだろう。


しかし、病気というのは、雑草や害虫のごとく、「まさかこんなところにまで」という勢いで、広がってしみ込んでいくことが往々にしてある。


手術の前に丹念にしらべたCT、MRIなどの画像で、病気の広がり具合をどこまで正しく評価できるか? 大きなカタマリの動向はだいたい読める。ミリ単位で病気のしみ込み方を判定することもできる。しかし……


ときに、病気の本質は、「細胞1個」のレベルで解析しないと見誤る。


手術で切り取った臓器のきれはしに、「病気の細胞が1個でも」残っていたら?


それは、おそらく、採り切れていないのだ。


まして、10個、100個、1000個という細胞が、きれはしに存在していたら。


体の中に残っている臓器のかたわれにも、きっと病気の細胞は存在するだろう。


細胞のサイズというのはマイクロメートルオーダーである、ミリ単位の1000分の1だ。


顕微鏡を使わなければまず判定は不可能。





そして外科医は祈るのだ。


「この見立てで採り切れるはずだ……ゲリラ兵みたいに孤独に先進する、病気の細胞がいなければ。」


「これだけ大きく切れば採り切れるはずだ……CT, MRIであれだけ見て確認したんだから。」


「たのむ……病理医が顕微鏡で見て、採り切れているよと言ってくれますように。」






息を詰めてプレパラートを見る。


15枚。20枚。25枚。30枚……。


途中で呼吸を止めていたことに気づいて、大きく深呼吸をする。


外科医の顔がちらつく。


「採り切れればいいんですが……」


すべてのプレパラートを見終わってため息をつく。


一行、記載する。


「断端陰性(4 mm)」





2 cmほどの余力を残して病気をすべて切りとった、と言っていたけれど。


きれはしまではなんと、4 mmしか余力がなかった。危ないところだった。


こういうことが、年に数度、ある。これで外科医は患者に説明するだろう。「無事、採り切れました。さあ、これからのことを一緒に考えましょう。」


よかったね、と思う間もなく、次のプレパラートがぼくらを待っている。