2020年12月11日金曜日

冬の駐車場に誰も居ない

勤め先の職員駐車場は値段が高い。

札幌駅から一駅となりという、そこそこいい立地だからだろうか。職員割を効かせているはずなのに月額12000円も取られるのは、札幌という田舎にしては珍しいと思う。

そのためか、職員は医療者や事務員含めて1000人規模のはずなのに、車はせいぜい80台くらいしか停まっていない。公共交通機関を用いる人のほうが多いし、あるいは少し離れたところに、もっと安く借りているのだろう。



今日、早朝に出勤したところ、だだっぴろい駐車スペースに車は3台しかなかった。

通路かどうかに関係なく、仕切りの白線を越えて車を走らせる。がらんどうの駐車場でだけ味わえる、背徳の楽しみ。

うっすらと凍り付いた中、ぼくはハンドルを右に切って自分の駐車スペースへと向かう。

すると後輪がわずかにスリップした。

瞬間的に、「このまま車が左前方にスリップしてどこまでも滑っていくところ」を想像する。



滑っていく先にはいかにも高級そうな車が一台停まっているのだ。

ぼくは慌ててブレーキをかけるが、横方向に滑ったタイヤにABSは無意味である。摩擦係数が限りなくゼロに近くなった、「凍ったばかりの地面」は何物をも受け付けない。

1トン弱の鉄の塊が、慣性だけで高級車の横っ腹に向かって等速運動で滑っていく。

ハンドルを左右に小刻みに回してカウンターを当てる。車体は滑りながらもいやいやと首を振り、1メートル以上滑ったところでわずかに地面とタイヤがグリップするのを感じる。すかさずブレーキではなくアクセルを踏む。すると滑っていく方向とは直角に車がずれる。ここぞとばかりにハンドルを操作して車の操縦性を取り戻す。

あんなに滑っていったのが嘘だったかのように、ぼくの車は再び前方に向かって静かに進んだ。

高級車との間はもう2メートルも空いてなかった。ひやりとする。



いったん車を停めて外に出る。すかさずメガネが曇る。マスクをしていなくても曇る。

ぼくは路面に目をやる。新雪の柔らかさとは大局的な、「新氷」の残酷な反射が朝日をはじき返していた。ここでぼくがハンドルやタイヤと戦ったことを誰もしらない。あの高級車も知らない。これから出勤してくる人々も知らない。患者も知らない。世の中の誰もわからないままにぼくだけが一人汗をかき、カロリーを使い、密かな戦いを終えてその根拠はどこにも残っていないのだ。スリップ痕すらほとんど見えなかった。

戦いは何も生まない、というのはこのことだろうか――――




というようなことを、「後輪がわずかにスリップした」のときにちょっとだけ想像して、でも車はすぐに自分の駐車スペースについてしまったので、静かに車をバックさせて、鞄の中からタイムカード代わりのIDパスを取り出して左手に持ち、出勤した。誰も戦ってなどいなかったけれど、ここは確かに戦場だったのだ。