2020年12月22日火曜日

病理の話(487) 後回しにしないけれど早回しにもしない

昨日の午後から夜にかけてめちゃくちゃ診断をしたので、今日の午前中は書き物をする。いろいろと順調だ。助かる、いつもこういう日ばかりならいい。


ぼくは病理医としてさまざまな仕事をしているが、「病理診断」は後回しにしたくない。待っている人の数が多く真剣度が高いからだ。後に回さないのであれば「先に回して」いく。もう帰ろうかなと思っても、そこでもうひと粘りして、早めに早めに。患者のためにも、医療者のためにもだ。


ただしここで注意点がある。


ほかならぬ、仕事のクオリティだ。早く終わることばかりを気にしていると細部に気が回らなくなる。後で見返してみるとびっくりするほど誤字が増える。誤字が増えるということは、脳のチェックが甘くなっているということで、字の間違いだけならいいが概念の勘違いなどもおそらく増えていくはずなのである。「確定診断」的役割を求められる病理診断で、ちょっとした勘違いでした、は許されない。

だから急いでこなした仕事は、少し時間を置いた後にもう一度目を通すようにする。ひとり時間差ならぬひとりダブルチェックだ。すると、急げば急ぐほどダブルチェックに時間をとられ、その後の仕事が遅くなる。急いだつもりが時間がかかる。

だから仕事は早すぎてもいけない。「クオリティコントロールができる範囲で最速で」というバランスを狙う。

そもそもぼくの業務は医療のクオリティを担保することだ。質とスピードのトレードオフについては敏感でなければいけない。



ここからは完全に例え話でイメージの話なのでピンとこない人もいるかもしれない。でもそのまま書いてみる。



自動車に乗ってどこかに行くことを考えて欲しい。

あなたは、「目的地に一番早くたどり着くための、エンジンの回転数」を考えたことがあるだろうか? 車の速度ではないぞ、もちろん走行ルートでもない、「エンジンの回転数」だ。エンジンが高回転すれば車の速度も上がると思いがちだがそうとは限らない。坂道のような場所ではギアをうまく選ばないと、いくらアクセルを踏み込んでエンジンをふかしてもなかなか車が上がっていかないことがある。また凍結路面で思い切りアクセルを踏んでもスリップするばかりで、ひどいときには車がそのまま横滑りしていく。

つまりエンジンが高回転するかどうかと車の速度自体が上がるかどうかは、「関係はあるのだが、完全に対応はしていない」。

こういうことをよく考える。

脳の回転数を高めていくというのは自分の中で発想を次々と切り替えていくことに等しい。最高速でぶん回せば、仕事がその分早くなるか? 路面に噛み合わないレベルのアクセルワークではタイヤはスリップするばかりだ。おまけに周囲の渋滞状況を考えずにアクセルをべた踏みして車を急発進させたらそれはそれで事故るだろう。目的地に早く、しかも事故なく着くためには、法定速度をそこそこ守り、オートマティックのギアチェンジもスムースに行い、アクセルを踏みまくるだけでなくブレーキのバランスも考えなければいけない。そうしなければハンドルが効かないし運転手の肩も凝るだろう。

では脳は常に60%くらいで回転させておくのがいいということか?

そうではない。ぼくはときにレースに臨む。時速の上限がないサーキットで、いかにギアをつないで車の最高スペックの時速まで出せるか、ということも必要だ。この世界で車に乗っているひとのほとんどはサーキットを走らないが、ぼくはこの仕事の特性上、ときおりF1やゼロヨンの場面で戦わなければいけない。

ギアチェンジやコーナリングやタイヤのスリップなどを考慮してなお、エンジンのトルクをスペックの最高値まで高めていくにはどうしたらいいか。

そういうことも考える。





「昨日の午後から夜にかけてめちゃくちゃ診断をしたので、今日の午前中は書き物をする。いろいろと順調だ。助かる、いつもこういう日ばかりならいい。」


という文章はこう読み解くことができる。


「昨日の午後から夜にかけて予定より先の『道の駅』まで運転したので、今日の午前中は博物館に寄っていく。いろいろと順調だ。助かる、いつもこういう日ばかりならいい。」


すると周囲からはこう言われるだろう、「おっ、体力あっていいね、楽しそうだね、でも安全運転でどうぞ。」