2021年7月5日月曜日

病理の話(552) まとめて面倒見てやらぁ

現代医療は分業がえげつない。胃の専門家と食道の専門家と、十二指腸の専門家と大腸の専門家がぜんぶ分かれているなんてことは普通である。胆管の専門家ですが中でも特に肝臓の中に通っている胆管に詳しいです、なんていう人もいる。右足の親指の専門家ですので右足の中指についてはよくわかりません、という人は……さすがにいないが……足の専門家なので手首はそんなに詳しくないよ、という整形外科医は本当にけっこういる。


そうやって細分化することで驚くべき進化を遂げた現代医療バンザイ、花火がドカーンと打ち上がる。大団円である。河原でそれを眺めてそっと手を握るカップルを遠目に眺めながら屋台で焼きそばを混ぜていた病理医は思った。


「専門が分かれていくことは結構だけど、複数の臓器にまたがる病気を診断する人も確保しておかないと、いざというときに困るよね……」


どこかひとつの臓器に病変が出る病気はいっぱいあるが、全身のいたるところに異常が出てくる病気もある。「全身疾患」などという通称、同時多発テロみたいで怖いけれど、みなさんもよく知っている病気にもこのパターンがあって、じつは結構ありふれている。


そのひとつの例はインフルエンザだ。インフルエンザでは、「熱が出て鼻水が出て、関節が痛くなる」ことがあるだろう。これって全身疾患だよね。ところで、「風邪で関節が痛くなる」というのが、学生のころのぼくはよくわからなかった。ハナから入ったインフルエンザウイルスが、なんで足腰とかに届くんだろう、と不思議だった。熱が上がるから関節の液体が沸騰するのかな? なんていう雑なイメージを持っていたこともある(40度で沸騰はしないだろう)。


インフルエンザウイルスに対しては全身が「ウイルス迎撃専用要塞」に変化する。エヴァに出てくる第3新東京市みたいなものだ。使徒が襲来するとアラームが鳴り響き、都市ひとつがまるごと装甲モードにチェンジする。中二病心を刺激してやまないあれが人体でも起こっている。アラームがわりのサイトカインが血液を介して全身に「鳴り響き」、迎撃モードに入る。だるくなって(余計な動きをせずエネルギー消費を抑えて免疫機能にウイルスと戦ってもらおうという合目的な体の反応)、熱が上がり、血管の性状がバトル用に変化し、戦闘員(免疫担当細胞)たちが血管内を駆け巡る。


あらゆる感染症が全身にアラームを鳴り響かせるわけではなく、一般的な鼻風邪とかノドの風邪は関節が痛くならないことも多いけれど、「熱が出ている」という時点で影響は全身に及んでいるわけだ。そう考えると、風邪とはマイルドな全身疾患なのであるな。


となるとやはり、胃や手首といった臓器ごとの専門家だけでは医療は行えない。ウイルスをはじめとする感染症については、「感染症内科」と呼ばれるエキスパートたちが牽引して、内科的な医者たちは全身をいっぺんに相手する手段を身につけている。でも、全身に症状が出る病気は感染症だけではない。


たとえば血管炎という病気や、内分泌(ホルモン)にかかわる病気。自己免疫に伴う病気。自己炎症性疾患という概念。これらはいずれも「全身に症状が出がちな」病気だ。こちらについては、感染症内科ではなく、リウマチ・膠原病内科などと呼ばれる、知名度は低いが業界内での信頼は熱い別のエキスパートが中心となって病態を整理する。また、神経疾患と呼ばれる病気も全身に症状が出る場合がある。こちらは感染症内科やリウマチ・膠原病内科ではなく脳神経内科の担当範囲だ。


そして、一部のがんにも「全身に病変があらわれるパターン」がある。


白血病や血管内リンパ腫、腫瘍随伴症候群を合併するがん、複数のがんが多発する特殊な遺伝子の異常……そして、多発転移。では、がんの場合、複数の科をまとめあげるのは何科の医者だろうか? 

腫瘍内科医や緩和ケア医、そして、病理医。




複数箇所に病変が出ている患者は、しばしば、複数の診療科を受診してそれぞれの科で臓器ごとのキュアとケアを受ける。これは、主治医が複数いるということになる。患者からすると大変だ。日替わりで違う医者に違う場所を診てもらわなければいけないのだから。

「入院している病棟を担当している医者」がいわゆる「メインの主治医」となったりする。しかし、あまりに複数の臓器に異なるトラブルが出ていると、そのすべてを理解しきることはメインの主治医にすらできない。

そこで、患者にかかわる医者どうしが頻繁に連絡を取り合うことが重要となってくる……。

と、今、「きれいごと」を書いたが、医者どうしが頻繁に連絡を取り合うというのはホントに大変なことである。医者ってそんなに頻繁に電話できる職業じゃない。

まず、科ごとに、外来のタイミングが違う。次に処置中は電話が取れない。そもそも患者やその家族と面談中だったらやはり電話は難しいだろう。手術に入っているときだってある。カンファレンスの時間も科ごとに異なる。日中も夜も、電話はなかなかつながらない。


そこで……病理医の出番なのだ(ぼく個人の考えですが後輩にはそう指導しています)。病理医は電話を秒で取れる数少ない医者なのである。病理医は「脳だけで仕事する」。処置はしないし手術もしない。切り出しはするけど患者と直接会わない。ものすごい量の書類仕事をし、顕微鏡を通じて人数だけで言えば誰よりも多くの患者を診ている(ただし患者の一部=細胞しか見ていない)けれど、誰と会話するわけではないから電話は基本的に最初のワンコールで必ず取れる。


そして、臨床のどの科の医者とも仲良くやれる。派閥もない、せめぎ合いもない。皮膚科医とも血液内科医とも呼吸器内科医とも外科医とも一緒に仕事をしている。だから、こと「がん」の診療においては、複数の科が検体を通じて集めてきた患者の情報を集約することは病理医が担える。いつでも病理医を拠点にして電話のやりとりをできる。


年に何度もあるわけではないが、難しい病気で複数の医者がかかわっている患者の情報を一番多く持っているのが病理医であるぼく、ということは存在する。そういうときのぼくは一日中何度も何度も電話をかけている。つながるまで。話が共有できるまで。「まとめて面倒見てやらぁ」ということである。